前半はまだキャラをつかみかねていて、
後半には慣れてくるからだ、
と思っていたが、それだけでもないことに気づく。
キャラが増えてくるから、というのはひとつの要素としてあると思う。
ストーリーというのは、話が進めば進むほど、
登場人物が増えてくる。
ずっと増えていくのではなく、
後半には新登場人物は減ってくるが、
後半に至るにつれて、増加していく傾向にある。
で、彼らのキャラが立てば立つほど、
その人物をどんどん描きたくなるというものだ。
この人はこういう感じで、この人はこういう感じで、
と描けば描くほど、
「違い」が明確になってくる。
あることに対して、この人はこういう風に思うだろうが、
この人はこう思うだろう、
この人はこう反応し、この人は逃げるだろう、
などのように、
「違い」でキャラを描きわけようとすることが増えるはずだ。
脳内でキャラ分けが進めば進むほど、
あるひとつの刺激に対してどうふるまうかを、
描き分けたくなってくる。
それがキャラとともに生きることだからだ。
だから、ついつい、後半になればなるほど、
キャラを詳細に描けば描くほど、
「みんなの描き分け」をしたくなってくる。
しかし、当然のことだが、
描きわけていることに時間を割かれ、
ストーリーの進行は止まるわけだ。
しかも描きわけをやればやるほど、
キャラは勝手にしゃべりだし、
こちらの意図と違う方向へ暴走する。
それがキャラの反応というものだ。
つまり、「勝手に話がそれていく」ことが、
キャラを描きわければわけるほど、
起こるということだ。
本筋を進めたいのに、
話が明後日に行くとき、
たいがい予定にないキャラの反応が原因だったりする。
その脱線はときに面白い(授業中の先生の脱線話は面白かったよね)が、
本線が止まることは許されざるべきことだろう。
話が停滞してしまっているということだからね。
感情移入している愛すべきキャラたちのワイワイは、
見ていてほほえましく、愛すべき瞬間ではあるが、
感情移入の原因は、
そもそもそのキャラクターの目的が実現するかどうか、
であった。
達成したら、話はそれでおしまいで、
ストーリーは最速で結末へ急ぐべきである。
ちゃらちゃらしている暇はないのだ。
にも拘わらずそうしてしまいがちなのは、
・ストーリーを進めることから逃げている
・キャラの描き分けが楽しくなっている
・沢山のキャラを制御しきれていない
という、作者の怠慢でしかない。
さっさと話を進めよ。
遊んでいる場合ではない。
ストーリーはあなたの遊びではなく、
ハラハラした、次にどうなるか分らない何かである。
二次創作の原動力とは、
逆に、このキャラたちの違いを延々書いている遊びのような気がする。
友達同士でもよくやる、
「〇〇ちゃんはこういうとき〇〇って言いがちで、
〇〇ちゃんは〇〇って絶対言うよ」
「〇〇ちゃんと〇〇ちゃんは似ているけど、
〇〇が違うんだよね」
ということと、同じことだと僕は考えている。
キャラが立つ人物が増えれば増えるほど、
これは面白いと思うよ。
(だから二次がはかどるのは、
キャラがわちゃわちゃいる作品だ)
それは二次創作であり、一次創作ではないということだ。
メイキングが二次創作的であるならば、
本編が一次創作だ。
あなたの仕事は、本編を最高に面白くすることのはずだ。
2020年05月22日
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