2020年05月22日

なぜ後半にはキャラが勝手に動き出すのか

前半はまだキャラをつかみかねていて、
後半には慣れてくるからだ、
と思っていたが、それだけでもないことに気づく。

キャラが増えてくるから、というのはひとつの要素としてあると思う。


ストーリーというのは、話が進めば進むほど、
登場人物が増えてくる。
ずっと増えていくのではなく、
後半には新登場人物は減ってくるが、
後半に至るにつれて、増加していく傾向にある。

で、彼らのキャラが立てば立つほど、
その人物をどんどん描きたくなるというものだ。

この人はこういう感じで、この人はこういう感じで、
と描けば描くほど、
「違い」が明確になってくる。
あることに対して、この人はこういう風に思うだろうが、
この人はこう思うだろう、
この人はこう反応し、この人は逃げるだろう、
などのように、
「違い」でキャラを描きわけようとすることが増えるはずだ。

脳内でキャラ分けが進めば進むほど、
あるひとつの刺激に対してどうふるまうかを、
描き分けたくなってくる。
それがキャラとともに生きることだからだ。

だから、ついつい、後半になればなるほど、
キャラを詳細に描けば描くほど、
「みんなの描き分け」をしたくなってくる。


しかし、当然のことだが、
描きわけていることに時間を割かれ、
ストーリーの進行は止まるわけだ。

しかも描きわけをやればやるほど、
キャラは勝手にしゃべりだし、
こちらの意図と違う方向へ暴走する。
それがキャラの反応というものだ。

つまり、「勝手に話がそれていく」ことが、
キャラを描きわければわけるほど、
起こるということだ。

本筋を進めたいのに、
話が明後日に行くとき、
たいがい予定にないキャラの反応が原因だったりする。
その脱線はときに面白い(授業中の先生の脱線話は面白かったよね)が、
本線が止まることは許されざるべきことだろう。
話が停滞してしまっているということだからね。

感情移入している愛すべきキャラたちのワイワイは、
見ていてほほえましく、愛すべき瞬間ではあるが、
感情移入の原因は、
そもそもそのキャラクターの目的が実現するかどうか、
であった。
達成したら、話はそれでおしまいで、
ストーリーは最速で結末へ急ぐべきである。
ちゃらちゃらしている暇はないのだ。

にも拘わらずそうしてしまいがちなのは、
・ストーリーを進めることから逃げている
・キャラの描き分けが楽しくなっている
・沢山のキャラを制御しきれていない
という、作者の怠慢でしかない。


さっさと話を進めよ。
遊んでいる場合ではない。
ストーリーはあなたの遊びではなく、
ハラハラした、次にどうなるか分らない何かである。


二次創作の原動力とは、
逆に、このキャラたちの違いを延々書いている遊びのような気がする。

友達同士でもよくやる、
「〇〇ちゃんはこういうとき〇〇って言いがちで、
〇〇ちゃんは〇〇って絶対言うよ」
「〇〇ちゃんと〇〇ちゃんは似ているけど、
〇〇が違うんだよね」
ということと、同じことだと僕は考えている。

キャラが立つ人物が増えれば増えるほど、
これは面白いと思うよ。
(だから二次がはかどるのは、
キャラがわちゃわちゃいる作品だ)
それは二次創作であり、一次創作ではないということだ。

メイキングが二次創作的であるならば、
本編が一次創作だ。
あなたの仕事は、本編を最高に面白くすることのはずだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:24| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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