昔小説と映画の違いを表現した文に、
「小説では服装は想像の自由の範囲だが、
映画ではその人の着ているシャツのボタンを数えることが出来る」
というのがあった。
他人の服のボタンの数を気にして生きている人はいない。
おそらく人はそんな精度で生きていないのだ。
どうもHDの映像がしんどい。
そんなところまで写ってんのかよ、
そんなところまでケアしないといかんのかよ、
ってことがすごく多い。
人はそんな精度で生きてないと思うんだ。
逆に、
興味のあるところはウルトラHDに拡大して、
そうじゃないところはオフフォーカスにするのが、
人間の生き方ではないか。
情報化社会はすべてをHDにして生きていかないといけないから、
みんな疲れてるのでは。
どうせ拡大したって欠点を見つけるだけだろ。
好きな人なら鼻毛を発見しても好きでいられるが、
そうじゃないから、
鼻毛探し炎上祭りばかりになってしまったのでは?
拡大していいことって、あったのかね。
オッパイだって寄ればブツブツだぞ。
普段はSD画質で、恋した途端ウルトラHDになるような、
そんな映画はないのかね。
で、恋の終わりと共に鼻毛やブツブツが気になるような。
ないなら作れそうだな。
優秀なアニメ監督はたぶん、カット毎の精度差を意識しているかと。
アニメのそういうところを時々羨ましくなりますね。
とはいえ、「ピクセル数(dpi)を調整する」まではやってないでしょうねえ…
単なる書き込みの差でやってるのかな。
ただ、書き込めば良くなるかというとそうでもなく、
(精緻な背景やメカはいいかもだけど)
人間の顔をめっちゃ書き込んでも魅力的になるとは限らないので、
やはり省略ということが表現の肝になると思います。
そういう意味で、実写は省略をコントロールすることが、
画質が上がって困難になり、
目の詰まり続けたのぺっとしたものになってると思います。
だから最近実写の絵で感動しないんだよなあ…
(沢山見たからかも知れないが)
実写から越境してきた監督らしい挑戦で、高畑勲が賞賛していました。
成功しているかどうかは微妙な面があるかと思いますが……。
手法に拘ると内容が疎かになるのは、いつの世もあることだと思いました。
件の場合は、蒼井優と鈴木杏が歳をとりすぎていたことの方が大きいかもですが。
つまり、その内容にその手法必要?
というのが、昨今のデジタルの問題だと思います。
「その内容を示すのは、その手法しかないのだ」
がギリギリ煮詰められたものを、芸術と呼ぶのだと思いますね。