ではないか、と最近は思っている。
ストーリーというのは、
あるモチーフによって、別のテーマを表現したものだ。
モチーフとテーマは別のものがよい。
以前議論したが、
「ロッキー」は、ボクシングを用いて、男の再起を描いている。
ボクシングはモチーフで、男の誇りを取り戻すことがテーマだ。
男の自信やアイデンティティーというものは絵にできないし、
それの回復も絵にできないから、
それをボクシングというカメラで撮れるもので表現するわけだ。
そして、そのモチーフというのは、
売りになる面白い絵である必要がある。
映画というのは見世物の一種であり、
「みるもの」の面白さがそれにないと、
どこを面白がっていいかわからなくなる。
地味な日常の何かが映画になりにくいのはそういうことだ。
派手で、手垢がついてない、新鮮なモチーフが、
ネタというものだ。
一方、
たいがい、テーマというのは人類普遍の何かかであることが多い。
そうしないと、心に響かないからだと思う。
ちいさくて周辺的で派生的なテーマよりも、
心にずしんと来る、根本的なテーマのほうがいいだろう。
王道ということは、それに挑んだものの名だと思う。
奇道というのは、そのバランスを崩して一見新しく見せたものだろう。
(たとえばバッドエンドとか、単なる逆張りとか、
テーマに落ちていないとか、変わった風俗だけ描いておしまいとか)
で、それらがキチンとできているとき、
タイトルはどうあるべきだろうか。
僕は、モチーフ(売りになるもの)にもかかっていて、
テーマにもかかっているもの(ネタばれでないのがいいだろう)が、最上ではないか、
と最近思っている、
というのが本題。
モチーフにかかっていることから、
面白そうだとキャッチーになり、
かつ本質のネタバレもしていないが、
見終えたあと、テーマが明らかになったとき、
実はタイトルがそれを暗示していたのだ、
というものが最高のタイトルではないか、
ということだ。
「ロッキー」はそうではない。
テーマを暗示してもいないし、モチーフも言っていない。
(ただ、ロッキー・マルチアーノというヘビー級のチャンピオンがいたので、
当時の人がロッキーといえばボクシング、
というイメージはあったかもしれない)
rockyは「岩のような(意思の固い)男」という俗語ではあるが、
それと本編のファイトスタイルは関係ないし、
頑固者というほどでもない。
(どちらかといえばチャラ男の面が強調されているし)
実は繊細な男で、多く傷ついているが、
それを乗り越えて男の誇りを取り戻す話であるから、
岩のような男は関係がない。
(ぎりぎり、理想像と関係あるかもしれない)
主人公の名前がタイトルになっているものはよくある。
それは、主人公が最も魅力的で、
売りになり、しかも主人公の何かがテーマになっているから、
売りとテーマが両方入っているような感じに、
なるからだと思う。
(とくにスターの当たり役だったらそうなるかもね。
ロッキーはスタローンという俳優を売りにしたわけだ)
主人公に、テーマも売りになるモチーフもない、
しょうもない映画なら、
主人公の名は、タイトルとして落第であろう。
二幕の売りになるポイント、
非日常世界をタイトルにしているものも多い。
「〇〇の冒険」とか。
ゲーム「ドラゴンクエスト」はまさにそうしたものだろう。
しかしこれはテーマが暗示されていないため、
タイトルの定着が弱い気がする。
ドラゴンクエストはゲームであるから、
とくにテーマは要求されないからそんなに悪いタイトルではない
(むしろ、売りがわかりやすい、
遊園地のアトラクションの名前だと考えるといいだろう)
が、
これがもし映画だとしたら、
ロトの旅の意味とか、そうしたことが問題になってくるはずだ。
(「ユアストーリー」?
世界の外からテーマを引っ張ってきてどうする? バカじゃないの?)
「ファイトクラブ」とか「ブダペストホテル」とか、
場所に関するものも多い。
これも、二幕での冒険の場所の名で、
冒険を暗示しているわけだ。
しかしベストは、
これとテーマが関係することだと思う。
ファイトクラブは、ぎりぎりブラピの正体がテーマだから、
ファイトクラブそのものがブラピの正体に関係しているように見えるので、
まだましな方だとは思う。
じゃあ、いいタイトルってなんだよ、
ってことを考えてしまう。
うる星2の「ビューティフルドリーマー」は、
色んな含意があるので、なかなかいいと思う。
やや落ち寄りかもしれないが。
最近の洋画の邦題はわりとむごい。
こうしたタイトルにかかわる原則が無視されているか、
無知なのだと思う。
カタカナ直接ばかりだ。
たとえば、
「マトリックス」や、「インセプション」に、
もっとふさわしい名前を付けられるだろうか?
それは文学の素養が必要だと思うよ。
ちなみに、
マトリックスmatrixは数学のベクトル変換に使われる行列のこと。
最近高校数学でやらないらしいな。3D画像には必須だというのに。
デジタル世界は、連続体ではなく、
マトリックス状にデジタイズされていることから。
これは第二幕の非日常世界のことだね。
テーマ「眠っている場合ではない、目覚めよ」ということとは、
ちょっと遠いが近いところにいるタイトルだ。
これをもっと日本語で表現できるか?という問題だ。。
「インセプション」は本来はじまりの意味で、
本編の「記憶の植え付け」とは関係のない単語である。
もっと適格なネーミングがあったと感じる。
テーマ「自分の見ている世界はだれかによる改変かも知れない」
ということを、もっと適格に表現する何かは、
思いつけたと思う。
ディックの「追憶、売ります」のタイトルのほうが、
よほど本質をついているような。
かように、
タイトルというものは、
本質から逃げがちだということだ。
それは、テーマをどう捉えるかに関係している。
極めて本質的で、客観性が必要なのだ。
そして、多くの映画ではそれに「失敗している」
といってよい。
これは、どういうタイトルをつけるのがいいのだろう。
そう迷ったとき、
そもそもモチーフとテーマが明確にあって、
それらを上手にダブルミーニングできるなら、
それがベストだと思う。
次善は、二幕の売りポイントか主人公名か。
あるいは、変わったタイトルでただ引っ張るか。
看板詐欺にならないためには、
タイトルが最大の伏線になっているのが、
最上だと思う。
しかしそれだけではキャッチーなタイトルになれないから、
(たとえばどんでん返しがあると悟られてはならないが、
それが売りのときなど)
引きの強いタイトルを考えるべきだと思う。
「いけちゃんとぼく」はそういう意味で、
よくないタイトルであった。
今なら、「あの夏にわかれたきみ」とでもつけるかな。
2020年05月26日
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