情さえ移ってしまえば、あとはどうにでもなる。(極論)
ぶっちゃけ、
「この先が気になるからグイグイ見ていく」
と言えるだけの出来のいいストーリーは、
世の中にほとんどない。
あるのは、
「うん、まあ、事情はわかったよ、
大体こうなるんだろうなという予測はあるけど、
とりあえず中断するのもあれだから、
しばらく見続けるか」
だ。
そしてもっと良くあるのは、
「うーん詰まらんな。見るのやめてえな」だ。
ところが、それと別の軸にあるのが、
その人物への情だ。
情さえ移ってしまえば、
どんなクソストーリーでもそれなりに見れてしまう。
あばたもえくぼだ。
ホストに惚れたらクソみたいな話題の時間でも、
キラキラした時間に見える恋のマジックなのだ。
魅力的なキャラクターは、このためにある。
もし情さえ移ってしまえば、
上であげた3タイプのストーリーは、
「ああ、この人は一体どうなってしまうんだろう。目が離せない!」
「この人は多分こうなるのかもなあ。目が離せない!」
「詰まらんけど、この人からは目が離せない!」
になり、
理性と感情がバラバラになるのだ。
で、人は感情を優先させるので、
理性をどこかで落としてくる。
人気芸能人、人気キャラ、人気声優を起用するのは、
これをするための戦術だ。
つまりは、アラを隠すためのごまかしだ。
外国の映画の方が、これが出来ない。
知らない国の知らない映画は、
その中身だけで見なければいけないからだ。
それでもその登場人物に情が移るのだとしたら、
それは良く出来たストーリーだと言えると思う。
そこに、その人間が生きているように。
それには何が必要か。
性格や設定は勿論ある。
その先の、目的だ。
目的を果たすためにストーリーは動く。
そしてそれが何故その人には必要なのかという、
理由、事情、動機だ。
そこに強く感情移入するから、
情が移ると言える。
感情移入した何かが上へ下への大騒ぎをする。
それがうまく行ったストーリーの形だ。
あなたは、どうやって情を移らせるのか。
どうやってそのキャラクターをみんなが気になる存在にするのか。
その計算をしてない限り、
プロットは無味乾燥な理屈にしかならない。
情さえ移ればなんとかなってしまうが、
プロットがなければただの空騒ぎだ。
両輪が必要なことは、常に意識しておくことだ。
2020年05月30日
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