2020年05月30日

情が移るまでやれ

情さえ移ってしまえば、あとはどうにでもなる。(極論)


ぶっちゃけ、
「この先が気になるからグイグイ見ていく」
と言えるだけの出来のいいストーリーは、
世の中にほとんどない。

あるのは、
「うん、まあ、事情はわかったよ、
大体こうなるんだろうなという予測はあるけど、
とりあえず中断するのもあれだから、
しばらく見続けるか」
だ。

そしてもっと良くあるのは、
「うーん詰まらんな。見るのやめてえな」だ。

ところが、それと別の軸にあるのが、
その人物への情だ。

情さえ移ってしまえば、
どんなクソストーリーでもそれなりに見れてしまう。
あばたもえくぼだ。
ホストに惚れたらクソみたいな話題の時間でも、
キラキラした時間に見える恋のマジックなのだ。

魅力的なキャラクターは、このためにある。

もし情さえ移ってしまえば、
上であげた3タイプのストーリーは、
「ああ、この人は一体どうなってしまうんだろう。目が離せない!」
「この人は多分こうなるのかもなあ。目が離せない!」
「詰まらんけど、この人からは目が離せない!」
になり、
理性と感情がバラバラになるのだ。

で、人は感情を優先させるので、
理性をどこかで落としてくる。


人気芸能人、人気キャラ、人気声優を起用するのは、
これをするための戦術だ。
つまりは、アラを隠すためのごまかしだ。

外国の映画の方が、これが出来ない。
知らない国の知らない映画は、
その中身だけで見なければいけないからだ。

それでもその登場人物に情が移るのだとしたら、
それは良く出来たストーリーだと言えると思う。


そこに、その人間が生きているように。

それには何が必要か。
性格や設定は勿論ある。

その先の、目的だ。
目的を果たすためにストーリーは動く。

そしてそれが何故その人には必要なのかという、
理由、事情、動機だ。

そこに強く感情移入するから、
情が移ると言える。

感情移入した何かが上へ下への大騒ぎをする。

それがうまく行ったストーリーの形だ。


あなたは、どうやって情を移らせるのか。
どうやってそのキャラクターをみんなが気になる存在にするのか。
その計算をしてない限り、
プロットは無味乾燥な理屈にしかならない。

情さえ移ればなんとかなってしまうが、
プロットがなければただの空騒ぎだ。
両輪が必要なことは、常に意識しておくことだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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