2020年06月06日

山の頂点には、誰もいない

芸術には独自性が必要である。
昔と同じものなんていらない。過去の名作を見ていればよい。
あなたは誰も挑んでいない山に登らないといけない。
それがオリジナリティの宿命だ。

しかし、当然のことながら、
そこには誰もいない。


つまり、参考になる例などない。
こう困ったことがあったが、
こう解決した、という先人のドキュメントもない。
こうしたらどうだ? という先輩や第三者の適格なアドバイスも意味がない。
似た事例の参考はあるにせよ、
あなたが挑むものが、オリジナルに満ちれば満ちるほど、
そんなものは役に立たない。
冒険にそもそも地図はないのだ。


あなたの悩みが、オリジナリティがあるかどうかは、
先人の努力をどれだけよく知っているかで決まる。
ああ、これはよくあるやつや、
というならば、参考資料は沢山出てくる。
対処法や、似た効果を安く上げるショートカット法すらあるかもしれない。

しかし、オリジナルであればあるほど、
似た方法などない。
つまり、新しいことに挑む者は、
常に孤独だ。
誰も助けてくれないし、時々気が狂っていないか、
確かめる必要がある。
そこが山だと思っていたら、谷底だったってこともある。
自分が狂っていないと保証することは難しいから、
過去の山に登った人の話を参考にするしかない。


最近若者と企画することがあるのだが、
若者の特徴は、自分で絵を描かなくなったことかな。
その代わり、ネットで企画に似た写真を見つけてきて添付することがよくある。
下手な絵を描くよりも、
リアリティがあってわかりやすいからだろうか。
そうしている限り、
自分が山に登っていないということが分らないのだろうか。
すでにある絵は、誰かがすでにやったことだ。
それが出来たって、誰かのN番煎じではないか。
そんなことが予想できないのだろうか。

オリジナルな企画は、オリジナルな絵を、
たとえ下手でも、描くしかないではないか。
もしそれがオリジナルだと分ったら、
絵師を雇えばいいだけのことだ。


あなたはまだ誰も登っていない山を見つけないといけない。
それが登れるものかどうかもわからない状態で済ませるのではなく、
頂点へのルート見積もりくらいは済ませないといけない。
なぜなら、それは冒険の価値がありそうだ、
と皆に思わせないといけないからだ。

新しい山を見つけた、だけではなく、
登山ルート、頂点の予想も、
同時にできなければならない。

今ビジネスの場では、
写真による資料のほうが強い。
予想がつくからだ。
予想がつくのではない。既に手垢がついているのだ。
そんな山を見せられて、
失礼な、と言わない人は、どうかしていると思う。


あなたはひとつの芸術をつくらなければならない。
誰も登っていないところへ到達しなければならない。
何にも似ていないし、誰も途中まで来ては下山したものでもない。
だから、麓からどうやって頂点へ行くかは、
あなたが見つけないといけない。

で、頂点へ行って、
それで到達だろうか?


僕は違うと思っていて、
そこにたどり着き、誰もいないと確信して旗を立てたあとは、
登山道を整備しないといけないと思っている。

つまり、「誰でもその頂点へ行けるようにする」
ことまでが、あなたの仕事だと思う。

危険な箇所はあらかじめどうにかして安全にし、
見通しがよいように整理し、
体力的に難しいところはあらかじめオミットしておき、
誰でもが、その頂点からの眺めを見れるようにするべきだ。

あなたは登山家であると同時に、
山開きをする責任がある、山の主なのだ。

一人で冒険した結果だけ持ち帰って、
一人楽しむこともあるだろう。
芸術というのはそれではない。
皆の財産になるほどの、景色を持ってこないといけない。

そこから見える新しい考え方は、
世界を変える。

誰もが、その新しい考え方を身につけられるのが、
よく出来た芸術だ。
posted by おおおかとしひこ at 01:27| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。