僕は手塚の中では、
「ブラックジャック」「火の鳥」「アドルフに告ぐ」「奇子」が特に好きだ。
これらには共通する特徴があると考えられる。
「立場がどんどん変わっていく」というポイントかと思う。
ある役職とか立場から、
事件が起こって、
全然違うそれになる。
あるときは囚われて身ぐるみ剥がれたり、
あるときは仏門に入って政治の表舞台から姿を消したり、
あるときは片腕を失ったり、
あるときは異形の者になったり、
あるときは全然違う組織の者として働かざるを得なかったり。
姿形を変えながら、
立場や抱える事情を変えながら、
なおも目的を果たそうとする人間たちが、
共通する構造ではないかと僕は思う。
だから、
なるべく「前の立場を失う」というドラマが作れるわけだ。
「前はあんなだったのに、今はこんなだ」
によって劇を進めるのが、
手塚は得意だったのではないか。
あるいは、
色んなものを描いてきて、最後に編み出した方法論だったのかもしれない。
視力を失っていたり、
村長になっていたり、
権力を失い奴隷になっていたり、
とにかく、
「なるべく前の立場と、遠い立場になること」
をビジュアル化するためにストーリーが用意されているように感じる。
つまりは振り幅だ。
手塚のストーリーは、
物語の振り幅の大きさを、
登場人物の立場の変遷によって描く特徴がある、
と言える。
適当に模倣してみる。
ある職業を目指している人間がいたら、
アクシデントで片手を失い夢を絶たれ、
別の職業についたとする。
しかしひょんなことから元の目的を果たせるチャンスを得、
今の立場をかなぐり捨てて旅に出る。
だが強盗に襲われ、身ぐるみ剥がされるどころか、
両足も失い、三年間監禁されてしまう。
しかし必死で義足を使いこなし、
ようやく出てきた頃、すっかり世界は変わってしまっていて、
その職業はもう世の中からなくなっていた。
みたいな感じ。
そういう、
上へ下へガンガン振り、
登場人物の見た目もガンガン振られるのが、
手塚が得意としたストーリーテリングではないかと思ったのだ。
何回、「すっかり変わってしまった」が使われるか、
一回の話で数えてみるといいだろう。
他の作家よりも、有意に多いと思われる。
これは特に大河系の話でよく使われる手法だ。
それを大長編ではなく、中編や短編でもやって来るのが、
手塚の面白いところだろう。
そのために、テヅカチャートがあるのではないか。
つまり、
「すっかり変わってしまった」をやるために、
どうやったら無理なく、しかも面白くそこへ辿り着けるかを考えるには、
テヅカチャートが最も有効な道具だからだ。
そしてゴールが決まっていればいるほど、
それと逆や全く違う方向に振るわけで、
それが激動や怒涛の感覚になるのだと思う。
あまり二時間映画で使われる手法ではないが、
これはこれで勉強に値すると思う。
あ、でも、三時間映画ならちょいちょいあるかな。
インターミッションを挟む系だと、
そこで大きく時間が飛ぶよね。
現代物ならなんだろう、次々に転職する男の話か。
ストーリーの位相がどんどん変わっていく感じになるだろうか。
参考までに。
2020年06月02日
この記事へのコメント
コメントを書く