親指シフトの功は沢山あるけれど、
罪の結構大きなものに、
「親指シフトキーボードというハードでないと、
親指シフトという仕組みは使えない」
という先入観を植え込んだことがあると思う。
自作キーボードをやってわかることは、
「キーボードというのはスイッチと配線とマイコンからできていて、
どのスイッチを感知したらどの信号を出すかは、
プログラムできる」
ということだ。
しかも単純な「このキーを押したらAとせよ」
だけでなく、
「Aを押しながらBの時はCね」とか、
「Aと同時押ししたBはDね」とか、
「Aを単打のときはAで、押しながらBはC」とか、
「Aを押しながらの時はこのレイヤーね」とか、
「Aを押したあと一打だけこのレイヤーね」とか、
「Aを押したらBCDと連続」とか、
「キーだけじゃなくて制御系もOK」とか、
「特定の条件の押され方のとき、特定のものを返すようにプログラムを組む」
まで、かなり自由度が高いことだ。
(ただしc++のスキル必須)
だから、
ひとつの物理キーボードに対して、
全く異なる操作系を組むことができる。
これを論理配列ということにする。
物理的な配列と、論理配列は、一致する必要がないわけだ。
親指シフトの罪は、
「親指シフトキーボードという物理配列と、
親指シフトという論理配列機構は、同一である」
と誤認させたことである。
もっとも、当時のハードメーカーとしてはそれが正しい選択だったかも知れない。
しかしJapanistというソフトウェアをついでに売っていたこともあるから、
さっさと「親指シフト論理配列」の特許を取り、
特許料10円くらいにして、
どんなメーカーのどんな物理キーボードでも、
親指シフトが走るようにすれば、
親指シフト文化の普及に貢献しただろう。
(10円でも1000万台出れば1億だしね)
無料のGoogleやAmazonが普及して、
広告で儲けるという仕組みが出るのは遥か先だ。
便利な仕組みは公共性が高いべきだ、
という考え方で無料提供するのは、
21世紀のビジネスモデルかも知れない。
親指シフトという論理配列は、
それだけ公共性が高かった。
だが80年代の公共性といえば、国に採用されることであった。
だからJIS規格の落選が、親指シフトの公共性をおとしめたのだろう。
(この時の詳しい事情については、かつて詳しいツイートを引いた)
富士通に頭のいいビジネスマンがいて、
「10円で親指シフトを使っていいよ」
とでも言えば、
JISキーボード上で論理配列親指シフトを実装する仕組みが、
すぐに普及したかもしれない。
(印字と合わない違和感はあるが、
親指シフトはどうせブラインドタッチ専用だ。
親指シフト印字キーキャップや、シールを売ればよかったのだ)
民間開発の草の根のエミュレータは、
どんな物理配列キーボードでも、
PC側で親指シフト論理配列を実現するものであった。
もちろん、どんな論理配列でもプログラムできるわけだから、
さまざまな論理配列を実現できたわけだ。
それが2000年代初頭の、
配列ブーム(一般的ではないが)を生んだのだろう。
「えっ?印字と違う配列?」
をまず超えられるかどうか。
あるいは、
「えっ?キーボードに印字がない?」
を超えられるかどうか。
それは、「物理配列と論理配列は別である」
「使いたいのは論理配列で、
それを物理配列で実装しただけだ」
「印字は飾りです」
という考え方が、
理解できるかできないかできまる。
固定観念を崩せるかどうかだ。
富士通は無変換と変換をいい位置において、
いつでも親指シフトを論理配列化できるようにしておいたのだから、
エミュレータを無料配布すればよかったのに。
(それでもなお、
元祖親指シフトキーボードは、
板バネ採用で感触が非常に良いから、
プロモデルとして生き残れば良かったのだ)
そのように外からは見えるのだが、
内側からはそう見えなかったのかもしれない。
物理キーボード=論理配列の信仰が強かったのかも知れない。
長らく、物理配列は、
メーカーの恣意的なものから「選ぶ」しか出来なかった。
あそこのメーカーのあれはいい、
あのメーカーのあれはない、
あのメーカーのあれがああなってるものを作ればいいのに、
要望を出そう、
しか我々は言えなかった。
しかし自作キーボードが、
物理配列の自由を解放した。
我々はいまや、
(相応の勉強を積めば)
いくらでも自由な物理配列を組むことができ、
いくらでも自由な論理配列を組むことができる。
また、僕みたいに、
他人の組んだ物理配列を愛用し、
他人の組んだエミュレータDvorakJで、
自分の組んだ論理配列を使うことも良い。
(そのうち他人の組んだエミュレータをキーボード内に格納予定)
つまり、
デジタル時代は、
「物理や論理を、他人のものを組み合わせて、
その上に乗っかれる」
ことを実現したわけだ。
オープンソースという哲学がそれを可能にしたのだろう。
オープンソースは要するに、
「コピペフリー」ということだ。
デジタルのもっともいいところ、
「劣化せずにコピーできる」を解放したわけだ。
そこに生まれたのは、
「使えるパーツを置いとくので、
コピペして使ってください」
というパーツ化である。
このような柔軟な考え方に、
親指シフトは乗っかってこなかった。
物理キーボード=論理配列の罠にはまり続けたのだろう。
だから、
「親指シフトは普通のキーボードでも使えます!」派と、
「親指シフトキーボードでないと打てない」派の、
二項対立を生んでしまったのだと思う。
親指シフトキーボードで、薙刀式論理配列を実現したっていいんだぜ?
「かえうち」ならそれも可能だ。
どうしても板バネ35gが気に入ったら、
僕はそれをやると思う。
ポータブルな板バネ35gがあれば絶対やってた。
(むしろ今板バネをMXスイッチ内に仕込めないか調べたりしている)
自作キーボードの考え方を経た人間には、
もはや物理キーボードとは、
「バネの物理並び」にしか見えていない。
使用するのは論理配列(キーマップ全体も含む)であり、
それを伝えるペン先が物理キーボードの役目に過ぎない。
このような分離こそが、
今のキーボードの考え方の最先端だと思う。
JISキーボードじゃなきゃだめだという人や、
Macは、なんて言う人は、
たぶんこの最先端の考え方を理解していない。
論理配列と物理配列は、
自分の目的に対して最適化すればよい、
と言われたって、
自分の目的が曖昧な人の方が多いと思う。
たとえば僕はAltキーとWinキーは使わないので、
僕のキーマップからは捨てた。
その後、MacのCommandキーがWinにあたると知り、
デフォルトレイヤーにWinキーを置くようになった。
こういう風に、
状況に応じて調整していくことだってやっていいのだ。
もし僕が物理配列設計に詳しければ、
「うーん、物理キーをここにもう一個足す!」
なんてことをすぐやってたかも知れないね。
MiniAxe以上に完成度の高いものを作れなそうなので、
MiniAxeをしゃぶり尽くしたほうがいいと僕は思ったので。
そうした、なんでもありの領域が、
自作キーボードの面白さで、
親指シフトはその真逆に凝り固まったように見える。
もちろん、何人かが、
自作キーボードで親指シフトを実装し、
使っている。
しかしこれまで語ってきたように、
親指シフトより優れた配列は沢山あるから、
いずれそっちへ流れると思う。
親指シフトキーボードはかなりいいキーボードだが、
親指シフト論理配列は、最高の論理配列ではないと、
僕は考えている。
単純に、DvorakJで親指シフトを導入するとよい。
「あれとあれを入れ替えたいな」と思ったら、
すぐに入れ替えられる。
「あれをシフトキーにすればもう1レイヤー増える」
と思えばそれも簡単に実装できる。
そうやって自分独自の親指シフトを作ることだってすぐだ。
そのうち、
親指でシフトしなくていいのでは?とか、
同時かつ連続の方がいいのでは?とか、
シフトキーはいくつもあっていいのでは?とか、
範囲はもっと狭い/広いほうがいいのでは?
などと思ってくることだろう。
そのとき、あらためて新配列の作例を沢山見て、
色んな人の工夫や考え方を知ればよい。
(総覧とはいかないまでもかなりの数は過去にまとめた。
そしてそれに漏れた最新の配列も出てきている)
こうした自由な考え方を縛った、
親指シフトキーボード=親指シフト論理配列
は、親指シフトの罪のひとつだ。
(親指シフトキーボードが、親指シフト論理配列を使用する、
ベストの物理である、という考え方にはかなり賛成だ)
キーボードはいまや自由だ。
今後JISキーボードすら消えるかも知れないが、
物理キーボードが消えることはない。
ペンや鉛筆が消えることはないのと同じくらいには。
ペンを自作する人もいるくらいだ。
筆記具にこだわるなら、
自作の道もあるぞ。
幸い、簡単なキットに関しては道がならされている。
真似すれば出来るレベルになっている。
一番簡単なのは、遊舎工房にいき、
コルネで親指シフトを実装することだ。
https://tmrkzr.com/gadget/7442/
なんかが参考になる。
(半田付けが必要なので、予習は必須。
それらを一通り経験できる、meishi2がさらに入門キットで存在する。
はんだ付けの基礎は、どこかでしらべてね)
誰もやってないことを自分の判断でやるのは、
地球が探検し尽くされた今、
おじさんの冒険としては最高におもしろいぞ。
2020年06月04日
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