富士山に月を二重露光した写真がグランプリになり、
物議を醸している。
>富士山写真の最優秀賞に「合成」指摘 「満月撮れない」
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/18363639/
アナログ写真は、デジタルの出現によって、
よりドキュメント方向へ特化してしまった。
つまり、生の一発撮りしか認めない方向へだ。
僕は、デジタルがアナログをそんな狭いところへ追いやったことが、
悲劇だと考えている。
これがアナログ写真しかなかった時代だったらどうだろう?
創作写真と、ドキュメント写真の、
ふたつの部門があったと思うんだよね。
創作は何してもOKで、
(極論すればカメラ機を叩き壊したブツを出品してもいいわけだ)
ドキュメントは生の一発撮りという条件だろう。
写真とは豊かなもので、
今創作的なテクニックを使っていない、
プロの写真などほとんどないだろう。
これは、
「ドキュメントや報道で、
どこまで演出が認められるのか」
ということと同じ議論だ。
デジタルによって、
かなりの工作ができるようになってしまったが故に、
工作なしが逆に価値を持ってしまった。
デジ絵の重ね塗りよりも、
一発勝負の水彩画のほうがすげえって言われる感じ。
でもプロの水彩画を見ると、
実は水で吸えてアンドゥできるいい紙を使ってたり、
何枚も描いて下書きを繰り返していたりと、
「生の一発撮り」とは違う、
工作的テクニックを使っていたりするわけで。
川口浩探検隊が洞窟に入る絵は、
なぜか先に入っていたカメラが捉える正面の絵だ。
ケツの絵だと前進感がないからだ。
デジタルがなんでも出来る様になってしまったので、
工作の価値が下がり、
生一発の価値が相対的に上がったと思う。
工作には工作の腕があり、
クリエイティビティが必要だ。
アナログの大工さんの工夫はわかるから、
工作すげえ、ってなるけど、
デジタルの工夫はわからないから、
工作きたねえ、ってなってしまうのではないか。
僕はアナログでもデジタルでも、
工作すげえってなる。
それはデジタルをわかっているからで。
つまり、
デジタルは、
それをわからない人を、敵に回したんだ。
だからITエンジニアは尊敬されず、
不当な労働環境に落とされたままで、
つまりはこれが平成不況の正体だとぼくは考える。
前も引用したけど、
映画「釣りキチ三平」の、
「釣れた魚のアップカット」の魚はCGらしい。
で、撮影班は空舞台(背景のみ)しか撮ってないのだそうだ。
あとは魔法のCGがついてくると。
とんでもない。
カメラの角度やフォーカス距離の計測、
そこから360度何が見えているかの記録(反射の計算のため)、
そして魚そのものの芝居の指示、秒数、
などがわからないと、
コンピューターを与えられても何もできない。
そんな無茶振りをさせられるCGアーティストがかわいそうだ。
それで、CGを理解しないプロデューサーに、
金額を叩かれるんだぜ。
出来の悪いCGだからこんなもんだろと。
CGを使うからには、撮影現場が計測や打ち合わせのために、
止まることを覚悟しなければならない。
役者のテンションを保ちたければ、
B班(特撮班)を組むことだ。
日本映画は、こんなことすら出来ないのだ。
それはすべて、
デジタルは何をしているのか、理解されていない、
無知が原因だ。
件の写真を見てみよう。
二重露光作品として二流だ。
ふつうは、月の光をぼんやりと三重合成する。
その光が富士山に反射するだろうから、
そのハイライトも四重合成だ。
雲との関係もおかしいから、雲を変形させる五重合成もするだろう。
それくらいやってやっと表現に達するというのに、
この作品は二流である。
そのような合成議論がニュースで出ない段階で、
デジタル技術というものは、
一生敵味方生産装置でしかないということだ。
僕は、技術家庭のような選択科目で、
デジタルをより教えたほうがいいと思っている。
ああ、プログラミング必修なのに国語の時間を削るという愚もあったな。
プログラミング言語は言語と名はついているが、
規定記号を使った設計なので、
技術家庭のジャンルだ。
自然言語を用いた思考や表現とは一線を画すべきなのに。
つまり、
分かってない人が分かってる人を排斥する時点で、
デジタルは人を幸せにしていないと思う。
わかってる人はわかってる同士で楽園を作ればいいか?
それもまた、ひとつのバベルの塔になるだけだ。
2020年06月04日
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