2020年06月05日

【薙刀式】書くタイプには二種類あると思う

ひとつには、書いた感触を見ながら直したり、
書くことを変えたりする、泥縄型。

ひとつには、計画はすべてできていて、
それを綴っていけばよいだけの、計画型。

配列には、どちらかに向くようなものがあると思う。


僕は泥縄型のスタイルだ。

書いた手の感触で、
思考を変容させることがよくある。
自分の中の考え(主観)は、
客観的な姿をとったときに初めて鏡に写すことができて、
それを見ながら姿勢を微調整するような感じだ。

薙刀式はそれをしやすい配列だと思っている。

他に似た考え方の配列は、飛鳥だろう。


飛鳥に拗音拡張(蜂蜜マトリックス的な)をほどこした、
あまのあすか配列の作者の中井氏が、
似たようなことを述べている。
https://mobile.twitter.com/mirai_kioku/status/1268850638332456960

ぬるぬる繋がってはなにかを書き、
それを見ながらまた考え、
書いては消し、
考えを改め…
というループに、飛鳥や薙刀式は向いてるような気がする。
きっと作者の執筆スタイルが無意識に影響しているのだろう。
(ていうか他のスタイルは取れるものではない)


一方の計画型は、多数派ではないと思う。

小説や脚本の世界でも、
時々計画型で書く人がいる。

そんなにうまいこといくのかといつも思うが、
ロジックがよれず、完璧に仕上がることも多い。

これに向いてるのは新下駄かもしれない。

ある程度のバッファのある内容を、
すらすらと最小手順で出力していくイメージがある。
飛鳥や薙刀式はどこか泥臭いけど、
新下駄はとてもスマートな印象があるからだ。

飛鳥や薙刀式が、
言葉同士の近視眼的な絡まりをとても意識しているのに対して、
新下駄はもっとドライに、俯瞰的に、統計的事実を重視している。
現場派と理論派みたいなことだろうか。


あるいは偏見だけど、
かわせみ配列やphoenixカナ配列のような、行段同時系も、
計画型に合う感じがする。



もっとも、これは配列の入り口でのイメージに過ぎず、
年単位で使いこなして無意識化すれば、
配列には沿わず人に沿うのかもしれない。

新下駄で泥縄型の執筆スタイルも出来るだろうし。
(薙刀式では計画型はそんなに便利ではないかも)

いろは坂やqwertyローマ字では、
めんめんつさんが実験してるように、
間欠的に、書く、考える…のループにしたほうが、
有利かも知れない。
泥縄にも、連続的に書くタイプと間欠的なタイプがありそうだ。


あまのあすかから新下駄へ転向中の中井氏が、
いったいどのような執筆スタイルになるのか、
年単位で楽しみではある。


飛鳥や新下駄の使い手は少しはいるはずなんだけど、
その普段使いについてなかなか知ることができなくて残念だ。

浦沢直樹の手元をずっと写してる映像みたいに、
飛鳥や新下駄の手元をずっと見てたいんだよなあ…
(薙刀式の動画はそれを目指しています)

普段使いで1000(字、変換後/10分)超えりゃなんでも速いんだから、
もはや速さよりも、「こういう感じかあ」って情報の方が、
有用だと思うんだがね…




言葉はどこから出てくるのか、
まだ誰も理論化出来ていない。

色んな人が色んな道具を使いながら、
色んな発見を報告しているのは、
とても豊かなことだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 21:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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