2020年06月07日

冒頭の役割

冒頭にはいろいろな役割がある。
面白そうだというつかみ、インパクト、
テーマの象徴的なイメージ、世界観、ルールの提示、
主人公やメインの事件の提示などだ。

しかし、それらはすべてまやかしである。
それらはあくまでガワのことだ。
本当にしなければならないこととは何か。


僕は、落ちへの伏線だと考えている。
つまり、落ちには、冒頭のことが関係するべきだ。

逆に考えよう。
落ちは、どのようにして落ちるのかだ。

なんか解決して、うまいこと言えば落ちだろうか?
「これがほんとうに終わった、解決した、
おひらき」
になるような最大のものは何か。
それは、最初から用意されていたものが、
すべて平らげられたときだと思う。

フルコースを平らげ、デザートに進んだとき、
最初の皿(あるいは店の入り口)に伏線があった、
という状態が、最高に遠投の伏線だということだ。

これがうまいこと決まったときに、
落ちた感じが一番あると思う。

つまり、それをやるのは冒頭部である。

これが出来ないと、
単に冒頭はツカミのことばかり考えてしまうだろう。
そういうものは落ちが弱くなる。
つかめたとしも、うまく離せない。

落ちとは観客を離す瞬間のことだ。
観客は、ストーリーにつかまれ、
翻弄されることを楽しみ、
うまく手放されて現実へ戻る。
その離れ際が落ちである。

だらだらやらずにスパッとやるべきとか、
手際よく、などということはよくいわれるが、
それがなぜか、と論じられることはほとんどない。
僕は、現実へ手放すときの手際だと考えている。
「めでたしめでたし」と家へ、現実へ帰るときの、
最後の魔法のようなものであると。

それがきちんと落ちた、
手放すときが来た、
と認識できるように仕込むには、
冒頭部でやっておくべきなのだ。


これは初心者には、たいへんむずかしいことだと思う。
そもそも初心者は最後まで書いた経験が乏しく、
最後まで書くことで精いっぱいで、
落ちのバリエーション、落ちの選択などについて、
ほとんど経験がないからである。
中級者を経て、
落とし慣れが出てきてはじめて、
冒頭と落ちの関係について落ち着いて試行錯誤できるかもしれない。

もちろんツカミは重要だ。
しかしそれは最低限必要なことではない。
出来れば、でしかない。
もっとも重要なのは、
落ちとの関係なのだ。

そんなことを最後に使って落とすのか、
と、感心しなければ、
冒頭から仕込んだ意味がないのだ。
その感心が、腑に落ちた感覚になるのだと思う。


冒頭にはいろいろな役割がある。
それらはあくまで引き込むための道具だてに過ぎない。
引き込んだら、いつの間にか伏線が張ってあるのが、
ベストの冒頭である。

つまり冒頭とは、入り口であると同時に、
出口なのだ。
posted by おおおかとしひこ at 08:10| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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