2020年06月08日

良くないバッドエンドの例(「リミット」評)

ソリッドシチュエーションスリラー、
しかも「埋められた棺の中限定」ということで、
少し気になっていた作品。

うーむ、これでええのんか。
ネタバレありきで批評。


落ちがついたと思ったのは、
「今助けるぞ、棺が見えた、
オーなんてこった、マークホワイト」
と、
担当官が最近助けた人物として最初に述べた、
マークホワイトの名をあげたことだ。

つまり、
助けたことも嘘だったし、
君の棺を見つけて助けるということも嘘だった、
という二重の転換で終わらせていることだ。

「なるべく最初に出たことで、
連環を終わらせる」
ことが落ちの原則であるから、
ここでおしまいなんだね、
ということが分かるわけだ。

これは落ちに関する重要な示唆である。



で、テーマだ。

このバッドエンド映画において、
何を意味しているかだ。
「人質は無駄に死ぬし、
捜査官で優秀な奴はいない」ということだろうか。

もう少し大きな枠組みで行けば、
「戦争というものは政治という巨大ななにかであり、
現場は吹き飛ぶのみである」
という普遍的なことだろうか。
対イラク戦争の、アメリカの何かを批判してるのだろうか。

「まったくアメリカ政府なんてクソだぜ。
口では綺麗事や正義面しやがって。
やっぱり助けられねえじゃねえか。
だから俺たちは銃を持って自衛するのさ。
HAHAHA」
という感想を持てばいいのだろうか。

それに、何の意味があるのだろう?


バッドエンドというものは、
それに値する価値がなければならない。
強烈な批判こそがバッドエンドの価値である。

ただダメでしたーおしまいー、
で、ちゃぶ台をひっくり返して、
悦にいる中二ではいけない。

「いけない」という警告は、
この映画を見終えたあとの、
「だからなんやねん」という怒りと共に記憶されるべきだろう。



この手のソリッドシチュエーションスリラーは、
「密室脱出もの」と言い換えることが出来る。
怖そうなシチュエーション、
命を掛けた脱出ものである。
命を掛けて不可能な脱出に挑むから、
大抵不可能になって、
怖そうなシチュエーションだから死んでもいいよね、
という落ちになりがちだ。

それは、作者の力量不足なのだ。

密室脱出ものは、
一見不可能に見えるこの脱出を、
いかに読まれずに、「こう脱出するのか!」
という正解を示すゲームである。

誰にも解けない問題を提示して、
自分だけが解ける解法を示すことである。

しかも、成る程それは気づかなかったという、
コロンブスの卵でなくてはならない。

つまり、難易度が高いのだ。

だから、
それを思いつくことができず、
ただ怖いシチュエーションを地獄巡りして、
(蛇、燃える、爆撃、同僚が殺される、指を切る、
同僚との浮気で解雇)
脱出方法を思いつかず、
思いついてもベタだから却下、になり、
うーんバッドエンド、
世の中批判でおしまい、
になりがちなのである。


これらの元祖は、「キューブ」かも知れない。
しかしキューブには、
「一個しかセットがないのに、
立体迷路にいるように見える」
という視覚的な面白さと、
仲間割れする人間たちの醜さという皮肉があった。

これもバッドエンドなのだが、
「正しく協力すれば脱出できたかも知れないが、
まあ人間の集団は大抵こうなるよね」
という皮肉があったわけだ。

(さらに元を辿ると、
「ポセイドンアドベンチャー」という、
上下が逆さまに沈没した豪華客船の脱出劇があった。
これは大掛かりな仕掛けと、命を賭ける本格派だった)


それに対して、
棺の中ワンシチュエーションは、
視覚的な面白さは足りず、
「一体どうやるのか」
という仕掛けしか面白みはない。

「なるほど、危険はこういうことを考えるのか」
という危険危機のバラエティは楽しめるが、
「それが一体なんだったのか」
が確定する終盤に至って、
実はまだ何も着手していないことに手遅れであった。


マークホワイトで落ちたような気がするが、
これは学生の自主映画レベルだろう。

学生がこれを作ったら、
成る程面白い、金がないのを逆手にとったな、
しかしテーマがちょっと甘いな、
次は複数の人間の間でやる芝居を撮りたまえ、
と資金の提供があるレベルではあるが、
プロが作り、興行するレベルには達していない。



では自分ならどうするかを考えるに、
テーマをどう作るかを考えるだろう。

「浮気してたら殺されても問題ない」
がテーマだろうか?
密室において、次々と浮気の証拠が出てくる話?
リンダとすぐに電話は繋がるが、
そこからどんどんバレて取り繕う話だろうか?
棺という密室なのに、
そんな話をするのもちょっと面白いかもしれない。

男の裏切りだけでなく、
女も裏切ると面白いかもしれない。

つまり、人はみんな酷くて口先だけだ、
みたいなことを炙り出すのに、
密室の中の電話は使えるかもしれない。

で、やっぱり助かるのだが、
戻った現実の方が地獄、
棺の中のほうが静かだった、
みたいにすれば、
バッドエンドの皮肉が効くかもしれない。


まあ、製作費はたいして掛かっていないから、
大損はしないかも知れないが、
この落ちでは大ヒットはないだろう。

ただのソリッドシチュエーションスリラーは、
もう飽きられてるだろうから、
結局、
「新規性のあるシチュエーションで、
どんなテーマを見事に炙り出すのか」
が、
映画というものの本質だ、
ということは言えそうだ。

こんなんでいいなら俺でも出来るぜ、
そう思ったやつらを沢山産んだんだとしたら、
少し罪な映画だね。



バッドエンドには、
いいバッドエンドと悪いバッドエンドがある。
いいバッドエンドは、人生を変えるほどの練りがある。
悪いバッドエンドは、ただの落ちが思いつかなかっただけの、
粗悪品である。
posted by おおおかとしひこ at 01:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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