テヅカチャートは展開を考える道具として優秀だ。
なるべくダイナミックな展開を構想するときに役に立つ。
テヅカチャートの使い方は簡単だ。
二通りある。
ひとつは、
中央に「現在の状態」を書き、
「次に考えうる面白い展開」を5つ(あるいはそれ以上)書く。
その中から面白そうなものを選び、
さらにそれを現在の状態として、また分岐させる。
どこからどう分岐しても良い。
とにかく面白い展開の迷路がたくさんできて、
おそらくはそれのもっとも面白いものが正解だ。
コツは、展開は複数常に思いついておくこと。
「これしかない」なんてのはなかなかない。
「これしかない」という近視眼的思い込みを取る意味でも、
つねに複数の展開を考えるための道具として、テヅカチャートは活用するべきである。
テヅカチャートのもうひとつの使い方は、
そのあとの展開だけでなく、その「前」にも応用できることだ。
「今の状態になる前、どうだったか」を複数考えるわけだ。
どうだったら面白いか、
どういう経緯で今があると面白いか、
いったいどういう展開でここまで来たのか、
などを考えるときに、テヅカチャートは手軽でとても便利な道具である。
未来版と過去版を組み合わせると、
それはストーリーの宇宙になる。
あり得た未来や過去がうずまく、
パラレルワールドみたいになってくる。
あるひとつのノードから過去と未来がリンクされ、
また別のノードにつながったりすることもあるだろう。
この中で、
「たったひとつのベストの一本の線」を見出すことが、
ストーリー展開を考えることだと言えるかもしれない。
ところで、
ただたんに「おもしろい」だけでいいのだろうか?
それだけが基準ではないと考える。
そこには、因果がある。
原因や結果という関係だ。
これを鍛えるのに、
僕は、「なぞかけ」を考える訓練がいいと思う。
なぞかけとは、日本の伝統芸能?のひとつだ。
おそらくどの国もない、固有の文化かもしれない。
「〇〇とかけまして、〇〇と解きます。
そのこころは〇〇〇です」
というやつである。
仮にこれを、
「AとかけてBと解く、
そのこころはXである」
と図式化することにしよう。
なぞかけの面白さとは、
一見関係ないABの間に、
Xという連関を見出すことである。
なるほど、XでAとBは共通だね、
という納得が、腹落ちにつながるわけだ。
これが、予測できるABの組み合わせでは面白くない。
なるべく関係ないものを先にあげておいて、
実はXだったのだ、
という「発見」こそが、
なぞかけの面白さだ。
ダジャレで落とす場合もあるけれど、
それはあんまり面白くない。
それは、この暗黙のルール、
「一見遠いように見えるABの共通点Xを発見する」
から期待されることに対して、
下回っているからだ。
ネットからいくつかの例を引こう。
一途な恋とかけまして、カーナビと解きます。
その心は、どちらも迷いがありません。
オタクとかけまして、野球と解きます。
その心は、「しょかいのとくてん」が大事です。
七夕とかけまして、ワイングラスと解きます。
どちらも曇ってしまうと台無しです。
「初回の特典(得点)」がダジャレになっていて、
やや劣ることは分るだろう。
そうではなく、一見ぱっと分らない、
共通点を探せるのか、
ということがこの遊び?の面白さだと言える。
さて、本題に戻る。
テヅカチャートをつくる上で、
この考え方が役に立つ。
現在の状態A、次の展開または過去Bに対して、
うまく共通点Xを見つけられれば、
妥当な展開になるのである。
それが因果関係だ。
ただ単に見た目の面白いABをくっつけても、
展開にならないのは、
Xが足りないのだ。
あるいは、「なるほど!」とうなるなぞかけになっていないのだ。
AとBという一見関係ないものを見せておいて、
「実はX」となると、
「なるほど! 読めなかった!」
という納得が訪れる。
それが展開の面白さということだと、僕は思う。
それは展開だけでなく、
ストーリー全体の、どこででもあり得ることだと思う。
テヅカチャートをいじりながら、
発想を豊かにしつつ、
一見遠いものをふたつ選びながら、
それをいかにして結びつけるのかを考えれば、
山あり谷ありの、
起伏に富んだ展開を考えることが出来るだろう。
その意は
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「要らないっつってるのに付いてきます」
(フェラツィオ行為がもし一切禁止になったらAV表現がどんだけ豊かになるだろうと夢想してるのですが如何でっしゃろ)
「おみごと」というのは、
誰もが「我が意を得たり」となることです。
正確にいうと、
「誰も言っていなかったことだが、
初めて言葉になった、
しかも誰もが無意識にはすでに思っていたことだ」
だと考えます。
その、「誰も言っていなかったこと」ぶりと、
「誰もが」ぶりと、
「すでに思っていなかったこと」ぶりの、
掛け合わせがみごとさに比例すると考えます。
その意味で、
既視感があり、かつ賛同者が少ないのではないでしょうか。