2020年06月13日

白髪三千丈

大袈裟にしてみよう。
(中国の話は、白髪が伸びた、という小さな話を、
三千丈(9000m)のスケールにするという故事から)


リアルでは小さなものでも、
フィクションの手にかかれば、
それは劇的に、大袈裟に、
スケールを大きくしていくことになる。
コントラストは濃くなり、
わかりやすく、キャラが立ち、
話のエッジが立つ。

それは自然にそうなるのではなく、
作者がそうしている。
しかも「そうするべきだ」と思ってそうしているからではなく、
「そうじゃないと、面白くないよね」
と思っているからだと思う。

話に尾ひれをつけて、
そのままでは小さくただのリアルだったものから、
まるで映画のような話へ、
大きくしていくのである。

それにはいくつかのコツがある。

1 単位を大袈裟にすること
2 コントラストを濃くすること
3 登場人物を整理すること
4 危機をあおること

などだろうか。


1 単位を大袈裟にすること

白髪三千丈だ。
白髪が2ミリ伸びた話を、三千丈伸びたとするのだ。
鼻毛が2ミリ出ていた話なら、鼻毛が一光年伸びればいいのである。
一人しか敵がいなかったら、
十万の軍勢を敵に回せばいいのだ。
味方が多少いたとしても、
すべて殺して孤立してしまえばいいのだ。

これはスケールメリットのところでも述べたので、
詳しくは省略する。


2 コントラストを濃くすること

対比を濃くすることで、話は大袈裟になる。
敵を多くしたら、味方をゼロにして、
孤立無援で絶体絶命の状況にしてしまえばよい。

微妙に異なる二人がいるなら、
まったく正反対の性格や事情にしてしまえばよい。

起伏が欲しければ、
絶体絶命から、最強に勝利へ行くとよい。その逆もよい。


3 登場人物を整理すること

多すぎる登場人物は、物語の敵である。
それは、コントラストを濃くできないからだ。
微妙な違いばかり追いかけていたら、
情報が混ざってしまう。区別がつきにくくなる。
だったら、少なくして、集中力を高めるようにするとよい。

これとこれの役割は、同一人物だとしてもできるのでは?
と考えることで、整理することが出来るだろう。
整理すればするほど、
コントラストはつけやすくなる。
エッジがはっきりし、
正反対のものが増えて、
スケール感は大きくなる。

たくさんの人物を出したほうがスケールが大きくなる、
と考えるのは、こうしたコントラストのことを考えたことのない素人だ。


4 危機をあおること

なるべく危険になろう。

こうしないと怒られる、
というくらいのことは、
こうしないと殺される、首だ、社会的立場を失う、
に変更しよう。

走って届けなければならないときは、
ヤンキーにカツアゲされるのではなく、
虎に食われるかもしれない、という風にしよう。

段差につまづきそうだ、というときは、
奈落が突然現れて、端っこにぎりぎりつかまれた、
という風にしよう。


危険はなるべく大きくしたほうが盛り上がる。
「一体これをどうやってクリアするんだ?」
という興味が出来るからだ。
もちろん、それらをどう脱出するかは、腕の見せ所である。



あなたはフィクションに何を求める?

とてもリアルで、現実的で、これを真似したら、
自分の人生がライフハックできるレベルの、
小さなものだろうか?

そうじゃないよね。
フィクションでしか味わえない、
ダイナミックなスケールと、
夢中になれる新しさと、
考えもつかなかった起伏と、
現実を忘れるほどの魅力だよね。

にもかかわらず、
「これはリアルだからいいのだ」などと自分の作品をいうやつは、
フィクションを書く実力がないことを、
自ら宣言しているようなものだ。


鼻毛に白髪を発見してショックだった?
そんなの今どきツイッターにもない現実のつまらなさだ。

鼻毛の白髪が三千丈伸びて困った、
からがフィクションのスタートだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:27| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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