2020年06月16日

何も知らないで書いた方が新鮮なものが出来るのでは

なんて初心者のころは思うものだ。


変な勉強をしてしまったら、
型にはまったものしかできない。
そもそもクリエイティブとは、
作り方が存在しないものである。
だから、なにもしないで、
自分というまったく新鮮な感覚の者が、
素直に書いたほうが、
ピュアで新しい、新感覚のものが書けるのではないか?

などと思ってしまうのはしょうがない。

理論でつくっただけのものは型にはまってつまらないのは事実だ。
オリジナリティは教えられないから、
いままでの自分の人生こそがオリジナルなのだ、
という主張もある意味正しい。

しかしこの初心者の考え方は、
完全に間違っているところがひとつある。

それは、
「人は、似たような間違いを犯す性質がある」
ということだ。


人間の無意識の構造や、経験なんて似通ったものである。
そこから導かれるオリジナリティなどたかが知れていて、
しかも「書くこと」共通のミスをしがちである、
があることはたしかだ。


思いつくままに書き出してみると。

・メアリースー、つまり自分だけが楽して得したいがため、
 周りがぜんぶおぜん立てしてくれる
・思いつかないからといってご都合主義に逃げる
・奇想天外なフィクションを思いつかないからといって、
 リアリティを重視したとか嘘をつく
 (そしてそれは面白くない。ほんとうに面白いリアルは、
  小説より奇なりである)
・大爆笑が書けないから、シュールなもの、
 などと言ってごまかす。
 (そしてほんとうのシュールとは、
  既成概念をいかに転覆するかという攻撃をしているはずだ)
・ヒロインがご都合主義のビッグマザーである

・オリジナルとか言っておきながら、
 どこかで見たようなものでしかない
・すぐにどんでん返しを入れたがる
 (それは逆張りをしたいがためだ。
  なぜ逆張りをしたいかというと、順張りが下手だからで、
  逆を張った俺かっこいいということで、
  アイデンティティーを主張しようというだけのことだ)
・仮にどんでん返しが面白かったとしても、そこに至るまでがすごく退屈
 (トータルでのエンターテイメントになっていない)

・かっこいい価値のある、オレ独自の主張をしている
 (傍からみたら、ネトウヨとかと同じにしか見えない。
  物語は演説ではない)
・オープニングはすごい良くても、そのあとが続かない
・キャラが面白いが、それだけで続かなくなる
・世界観が面白いが、それだけで続かなくなる
・事件やきっかけは面白いが、解決する方法がわからなくなり、挫折

・落ちが思いつかなくて、挫折
・落ちが思いつかなくて、投げっぱなし
 (なんだかすごいことを言っているようにほのめかして、
  スゴイと言われたい)
・当初のイメージと全然違うものになってしまった
・なんだかすごそうな雰囲気は書けるが、
 いざとなるとその中身は書けなくなる
 (たとえば、強そうなキャラは書けても、
  そのキャラがほんとうに強いシーンは書けない)

・だからごまかしごまかしやっていくしかなく、
 途中で馬脚を現すか、シュールとかよくわからない霧でごまかす
・ずっと同じ調子で飽きてくる
・前言ってたことと今言っていることが違う
・面白そうな冒頭だけ考えて、あとは後輩とか、
 強権を発動できる者に無理矢理考えさせる
  (しかも手柄は自分のものにしようとする)
・面白そうな設定だけ考えて、以下略

・セリフは書けても場面は書けない
・場面は書けてもセリフが書けない
・説明が下手
 (見てわかるものをセリフで言ってしまっているとか、
  長いとか、退屈とか)
・自分は最強だが陰キャ(たいていは投影の結果)


などなどなど。
もっとあるだろうが。


新鮮なものが出来る確率と、
こうしたほとんどの不勉強の者が陥るミスに陥る確率でいうと、
1対99というところだろう。
僕は100万を賭けるなら、後者にする。


それ、ほんとうに新鮮?
出来上がったものを見て本気で言ってる?
どこにでもある、
しょうもないもの以下じゃない?

「自分が書いた中では、史上もっとも新鮮なもの」
でしかないんじゃない?

それを自画自賛といって、誰もが陥りやすい平凡なパターンだぜ。
posted by おおおかとしひこ at 00:23| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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