2020年06月25日

キャラクター商売

あるキャラクターが突然人気が出るものだろうか?


僕はそうは思わない。

あるキャラクターが人気になるのには、
何かのきっかけがある。

それで人気になり、
生き残ったキャラクターたちに人気が出る。

そしてしばらくは、
そのキャラクターを生かして稼ぐことができる。
バラエティ、講演会のような、
同じことをしていても大丈夫なもの。

むしろそのキャラを変えたら、
キャラ変と思われて客は離れる。

だから、キャラを変えてはいけない。

女性のキャラ変は、
男との付き合い、結婚、出産などで、
ちょいちょい変える節目があるが、
男性のキャラ変は難しい。
(渡部みたいにキャラの裏切りがあるとキャラが違うと怒られる。
芸能人は、キャラを演じる人間だ)


で、次第にキャラ人気が降下してゆく。
同じキャラに飽きていくからだ。
(微妙にアレンジを加えて、
少しずつキャラを変えていくのが、
飽きられないコツだろうか)

こうして、次の人気キャラにとって変わられ、
新陳代謝はおこって行く。


さて、
では、人気のキャラのきっかけとはなんだろう?

僕は、
「感情移入に値する冒険の成功」だと考えている。

つまり、「人気キャラ世界」
へのイニシエーションが必要だと思うわけだ。


たとえばキティを考えよう。
キティに感情移入はない。
なぜ人気かといえば、幼少期からの刷り込み、
すなわちパワープレイである。

70年代に、文房具やその他にキャラを使うことはあまりなかったから、
そのキャラの独占市場があった。
そうするとパワープレイが可能になり、
感情がうまれる。情といってもよい。

あとはその惰性で、キティが好きというだけだろう。


一方、のび太を考えよう。

僕らがのび太を好きなのは、
ぐうたらという共感性もある。
ドラえもんが羨ましいなあという憧れもある。

しかし僕らは、「感情移入に値する冒険」を、
一度や二度目撃している。
「さようならドラえもん」しかり、「のび太の恐竜」しかり。
だからのび太への感情移入は完了している。

同様に、
原作やアニメのルパン三世にはたいして感情移入しない。
謎の素性や、オモシロ猿顔や派手なジャケットに感情移入するわけではない。
「カリオストロの城」で、
若い頃の失敗を取り返し、クラリスに指一本触れなかったことを知っているから、
僕らはルパン三世に感情移入するのだ。


わかりやすいアニメキャラクターをあげたが、
実写でも同じである。

スターウォーズは、実写の人間を、
まるでキャラクターのように扱った、
キャラクタービジネスだ。

ジョージルーカスは安い製作費、安いギャラの引き換えに、
人間の肖像権以外の、ロボットやメカキャラクターのキャラクター権を得た。
これで巨万の富を築き、現在に至る。

スターウォーズがつまらなくなったのは、
人間の出番が減り、
商売目当てのキャラ祭りになったことだ。
「感情移入に値する冒険」が減っていったからだ。
「イウォークアドベンチャー」がその鏑矢だろうか。

Ep1-3に至っては人間ドラマなんて「?」だったし、
Ep7-9に人間ドラマは存在しなかったといってよい。

誰も感情移入に値する冒険をしてないので、
僕は後期六部作は、
バラエティや講演会と同じものだと思っている。
つまりは、
キャラクタービジネスに過ぎないと。

ノートやシャーペンにキティが印刷されているように、
スクリーンにキャラが印刷されている商品であり、
映画ではないと考えている。



さて。

もしあなたがキャラクタービジネスをしたいのならば、
ふたつの方法がある。

1はキティのように、「まだキャラがいない分野でのパワープレイ」。
ゆるキャラはそこで成功した。地方自治体は空白地帯だったのだ。

2は人気アニメや芸能人のように、
「すでに人気のあるキャラを集めて、バラエティをすること」。
注意点はキャラ変をしないことと、飽きられないことと、
飽きられたのは捨てて新たな人気キャラを育てる、
または他所から買ってくることだろう。


映画が扱う領域、
「感情移入に値する冒険」とは全く関係ないことに注意されたい。
これは、脚本と密接に関係している。

知らない人に感情移入することが脚本術だからで、
それに関してはたくさん書いたので過去記事を掘られたい。


さて、プロデューサーや興行主は、
キャラを扱うビジネスの人に過ぎず、
映画脚本を扱うビジネスの人ではない。

彼らは人気キャラを欲しているだけで、
その方法については無頓着である。

ここに話のズレがある。

もしあなたがプロになり、彼らと話し合うならば、
彼らは、
「いかに感情移入に値する、知らない人の冒険を面白おかしくするか」
については、
いかなる話もできないと心得よ。

彼らは、「どういう人気キャラをいくらで買えるのか」
「それはどれくらい旬が持ちそうか」
「今持っているキャラ財産の棚に入れて苦しゅうないか」
にしか興味がない。

「なぜ、どうやって、人はこのキャラにたいして激しく感情移入して、
生涯の友と感じるのか」
については興味がないし、そのディテールを弄る才能もない。

だから、
我々のアピールするべきポイントは、
いかにそのキャラが既に人気かと、
いくらで買えるか、
ということだけだ。


こうして、
「既に人気のあるキャラの順列組み合わせ」になり、
新しいものが誕生する土壌を汚染して行く。

いま日本はこのどんづまりにいる。

新しい、「感情移入に値する冒険」は、
現在のテレビや映画でないところからしか、
産まれなさそうな気がする。

ネットはひとつの出口かもしれないが、
他のチャンネルはあり得るかもしれない。


それを見つけ、最初にその純白の雪に足跡をつけた男が、
のちのキティになるかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 02:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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