あるキャラクターが突然人気が出るものだろうか?
僕はそうは思わない。
あるキャラクターが人気になるのには、
何かのきっかけがある。
それで人気になり、
生き残ったキャラクターたちに人気が出る。
そしてしばらくは、
そのキャラクターを生かして稼ぐことができる。
バラエティ、講演会のような、
同じことをしていても大丈夫なもの。
むしろそのキャラを変えたら、
キャラ変と思われて客は離れる。
だから、キャラを変えてはいけない。
女性のキャラ変は、
男との付き合い、結婚、出産などで、
ちょいちょい変える節目があるが、
男性のキャラ変は難しい。
(渡部みたいにキャラの裏切りがあるとキャラが違うと怒られる。
芸能人は、キャラを演じる人間だ)
で、次第にキャラ人気が降下してゆく。
同じキャラに飽きていくからだ。
(微妙にアレンジを加えて、
少しずつキャラを変えていくのが、
飽きられないコツだろうか)
こうして、次の人気キャラにとって変わられ、
新陳代謝はおこって行く。
さて、
では、人気のキャラのきっかけとはなんだろう?
僕は、
「感情移入に値する冒険の成功」だと考えている。
つまり、「人気キャラ世界」
へのイニシエーションが必要だと思うわけだ。
たとえばキティを考えよう。
キティに感情移入はない。
なぜ人気かといえば、幼少期からの刷り込み、
すなわちパワープレイである。
70年代に、文房具やその他にキャラを使うことはあまりなかったから、
そのキャラの独占市場があった。
そうするとパワープレイが可能になり、
感情がうまれる。情といってもよい。
あとはその惰性で、キティが好きというだけだろう。
一方、のび太を考えよう。
僕らがのび太を好きなのは、
ぐうたらという共感性もある。
ドラえもんが羨ましいなあという憧れもある。
しかし僕らは、「感情移入に値する冒険」を、
一度や二度目撃している。
「さようならドラえもん」しかり、「のび太の恐竜」しかり。
だからのび太への感情移入は完了している。
同様に、
原作やアニメのルパン三世にはたいして感情移入しない。
謎の素性や、オモシロ猿顔や派手なジャケットに感情移入するわけではない。
「カリオストロの城」で、
若い頃の失敗を取り返し、クラリスに指一本触れなかったことを知っているから、
僕らはルパン三世に感情移入するのだ。
わかりやすいアニメキャラクターをあげたが、
実写でも同じである。
スターウォーズは、実写の人間を、
まるでキャラクターのように扱った、
キャラクタービジネスだ。
ジョージルーカスは安い製作費、安いギャラの引き換えに、
人間の肖像権以外の、ロボットやメカキャラクターのキャラクター権を得た。
これで巨万の富を築き、現在に至る。
スターウォーズがつまらなくなったのは、
人間の出番が減り、
商売目当てのキャラ祭りになったことだ。
「感情移入に値する冒険」が減っていったからだ。
「イウォークアドベンチャー」がその鏑矢だろうか。
Ep1-3に至っては人間ドラマなんて「?」だったし、
Ep7-9に人間ドラマは存在しなかったといってよい。
誰も感情移入に値する冒険をしてないので、
僕は後期六部作は、
バラエティや講演会と同じものだと思っている。
つまりは、
キャラクタービジネスに過ぎないと。
ノートやシャーペンにキティが印刷されているように、
スクリーンにキャラが印刷されている商品であり、
映画ではないと考えている。
さて。
もしあなたがキャラクタービジネスをしたいのならば、
ふたつの方法がある。
1はキティのように、「まだキャラがいない分野でのパワープレイ」。
ゆるキャラはそこで成功した。地方自治体は空白地帯だったのだ。
2は人気アニメや芸能人のように、
「すでに人気のあるキャラを集めて、バラエティをすること」。
注意点はキャラ変をしないことと、飽きられないことと、
飽きられたのは捨てて新たな人気キャラを育てる、
または他所から買ってくることだろう。
映画が扱う領域、
「感情移入に値する冒険」とは全く関係ないことに注意されたい。
これは、脚本と密接に関係している。
知らない人に感情移入することが脚本術だからで、
それに関してはたくさん書いたので過去記事を掘られたい。
さて、プロデューサーや興行主は、
キャラを扱うビジネスの人に過ぎず、
映画脚本を扱うビジネスの人ではない。
彼らは人気キャラを欲しているだけで、
その方法については無頓着である。
ここに話のズレがある。
もしあなたがプロになり、彼らと話し合うならば、
彼らは、
「いかに感情移入に値する、知らない人の冒険を面白おかしくするか」
については、
いかなる話もできないと心得よ。
彼らは、「どういう人気キャラをいくらで買えるのか」
「それはどれくらい旬が持ちそうか」
「今持っているキャラ財産の棚に入れて苦しゅうないか」
にしか興味がない。
「なぜ、どうやって、人はこのキャラにたいして激しく感情移入して、
生涯の友と感じるのか」
については興味がないし、そのディテールを弄る才能もない。
だから、
我々のアピールするべきポイントは、
いかにそのキャラが既に人気かと、
いくらで買えるか、
ということだけだ。
こうして、
「既に人気のあるキャラの順列組み合わせ」になり、
新しいものが誕生する土壌を汚染して行く。
いま日本はこのどんづまりにいる。
新しい、「感情移入に値する冒険」は、
現在のテレビや映画でないところからしか、
産まれなさそうな気がする。
ネットはひとつの出口かもしれないが、
他のチャンネルはあり得るかもしれない。
それを見つけ、最初にその純白の雪に足跡をつけた男が、
のちのキティになるかも知れない。
2020年06月25日
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