このフォーマットは、デスゲームもののフォーマットと実は同じだね。
デスゲームものの基本構造は、
「ある日突然知り合いを殺し合う、
または知り合いと死をかけたゲームに参加を強制させられる」
というものだ。
カイジならばギャンブルによる借金、
キューブなら謎の組織による拉致、
ガンツなら列車事故、
地下格闘ものなら腕試し、
などなど、
そのきっかけは様々だ。
そこで初めて知り合うパターンもあれば、
恋人や友達など、
親しい人もそこに巻き込まれていることもあるだろう。
感情移入は、ゲーム参加前に終わっていることが多い。
(あとでエピソードとして追加されることもある)
なぜなら、ただの他人が死をかけたゲームに巻き込まれるより、
感情移入を少しでもした人が巻き込まれるほうが、
面白いからだ。
そして、
ただ人が生き死にしているよりも、
感情移入した人が生き死にするほうが、
ドラマとして面白い。
痛みもあれば悲しみもあれば怒りも悦びもある。
人生で味わうすべての感情を、
デスゲームで味合わせることすら、
可能かも知れない。
逆に、人生で味わうすべての感情を味合わせるような、
架空のゲームをつくることが、
デスゲームものの醍醐味だと言っても良い。
で、
人間将棋はそれをうまくやったと言える。
映画的な感情移入ではなく、
リアルな親しい人という感情移入で。
感情移入さえうまくいけば、
彼らが生き死にをかけたり、
敵方に寝返ったり、
かつての敵は今日の友になったり、
殺したくないという感情が芽生えるなど、
将棋はデスゲームのひとつになるわけだ。
これらの「わかっていること」をすべて企画者が分かっていたかは分からない。
カンだけで企画したら面白かったのかも知れない。
物語というのは、不意に突然こうやってできる。
これがストーリーとして成立したのは、
ラストに電話やメールをしたラストシーンだよね。
「大切な人は、大切だ」というような、
ごく当たり前の普遍的な結論に持っていったのが、
なんだかリアルでよろしい。
そもそもデスゲームもののテーマは、
「平凡な日常というのはなんと素晴らしいのだろう」と、
非凡な殺し合い側から見ることだからね。
それを分かった上で、
これに匹敵する感情移入をどう作り込むか、
これに匹敵するデスゲームを別のジャンルで出来るか、
などと想像していくと、
新しいデスゲームものが作れるかも知れない。
あるいは、
「突然強制参加」をやめて、
徐々に巻き込まれていくようにすると、
普通のストーリーものになったりするよ。
2020年06月23日
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