コロナ禍により、リモート収録みたいな番組が増えて、
急につまらなくなった。
つまり人間というのは「その場にいること」で起こる火花のことなのだ。
逆に、物語というのは、
「人たちが、その場にいることで起こること」
なのである。
そこに居合わせたことによる悲劇、喜劇、大逆転。
そこにいなかったことによっての、悲劇、喜劇、大逆転。
会うことによって事態を進めること。
会うことを拒否することで事態を停止すること。
会ってこれまで知ってることがつまびらかになること。
それぞれの事情を全員が把握すること。
その場にいながらわざと言わないこと。
ずっと会えなかった人に、やっと会えること。
二度と会えない人になること。
その場から立ち去る理由。
その場に来た理由。
その場に留まる理由。
その場に遅れる理由。
その場を遅らせた理由。
タッチの差ですれ違うアクシデント。
計画して時刻を合わせ、きっかりその時間にそこで何かをする計画。
遠くで連絡は取り合っているが、
現場の細かいことがわからないため、
辻褄が合わなくなっていくこと。
その場にいる全員ができる想像。
そこでしか出来ないこと。
どこででも出来ること。
私たちはこれらを使って、物語を書くのだろう。
つまり、
場所というのは、
物語の重要な道具である。
5W1HのWhereが抜けたら、
我々の認識はとても崩れやすいということだ。
人間は群れで発達した生き物で、
その場にいる群れで社会を構成する。
だから、物語(事件とその解決)は、
その場で起こる。
この、そこで起こっているまさにその感じが、
リモートにはないから、
なんにも面白くないんだろうね。
ソーシャルディスタンスを厳密に守れば、
ドラマは成立しない。
なぜなら、上のことが全部出来ないからだ。
しばらくは大変だろうが、
逆にそのことで、
物語の本質、「その場」とはなにかが、
炙り出されてきたということだね。
シナリオには三つの要素しかない。
柱、ト書き、セリフ。
柱(場所と時刻)を失うと、要素が二つになってしまう。
場の文脈もなにもない。
そこでしか起こらないこと、
そこでしか出来ないこと、
そこだから出来たこと、
などを失うね。
メールや電話やzoomで事足りるのは、
右から来たものを左に受け流す仕事の人だけだと思います。
もしホワイトカラーの仕事がそういうものしかないのだとしたら、
勝手にやってろって感じですね。
ゼーレの会議だけやってればいいんじゃないでしょうか。
そんなもん、人数減らした方が合理的だと思いますね。