2020年06月26日

その場にいること

コロナ禍により、リモート収録みたいな番組が増えて、
急につまらなくなった。

つまり人間というのは「その場にいること」で起こる火花のことなのだ。
逆に、物語というのは、
「人たちが、その場にいることで起こること」
なのである。


そこに居合わせたことによる悲劇、喜劇、大逆転。
そこにいなかったことによっての、悲劇、喜劇、大逆転。

会うことによって事態を進めること。
会うことを拒否することで事態を停止すること。

会ってこれまで知ってることがつまびらかになること。
それぞれの事情を全員が把握すること。
その場にいながらわざと言わないこと。

ずっと会えなかった人に、やっと会えること。
二度と会えない人になること。

その場から立ち去る理由。
その場に来た理由。
その場に留まる理由。
その場に遅れる理由。
その場を遅らせた理由。

タッチの差ですれ違うアクシデント。
計画して時刻を合わせ、きっかりその時間にそこで何かをする計画。

遠くで連絡は取り合っているが、
現場の細かいことがわからないため、
辻褄が合わなくなっていくこと。

その場にいる全員ができる想像。

そこでしか出来ないこと。
どこででも出来ること。


私たちはこれらを使って、物語を書くのだろう。
つまり、
場所というのは、
物語の重要な道具である。

5W1HのWhereが抜けたら、
我々の認識はとても崩れやすいということだ。

人間は群れで発達した生き物で、
その場にいる群れで社会を構成する。
だから、物語(事件とその解決)は、
その場で起こる。

この、そこで起こっているまさにその感じが、
リモートにはないから、
なんにも面白くないんだろうね。


ソーシャルディスタンスを厳密に守れば、
ドラマは成立しない。
なぜなら、上のことが全部出来ないからだ。

しばらくは大変だろうが、
逆にそのことで、
物語の本質、「その場」とはなにかが、
炙り出されてきたということだね。


シナリオには三つの要素しかない。
柱、ト書き、セリフ。

柱(場所と時刻)を失うと、要素が二つになってしまう。
場の文脈もなにもない。

そこでしか起こらないこと、
そこでしか出来ないこと、
そこだから出来たこと、
などを失うね。
posted by おおおかとしひこ at 01:02| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡様 お世話になります。このお話は仕事全般にも通じると思いました。今はテレワークが次世代の画期的で望ましい労働ともてはやされていますが、メールや電話、ネット会議だけでこと足りるものなのでしょうか。
Posted by すーざん at 2020年06月26日 16:14
>すーざんさん

メールや電話やzoomで事足りるのは、
右から来たものを左に受け流す仕事の人だけだと思います。

もしホワイトカラーの仕事がそういうものしかないのだとしたら、
勝手にやってろって感じですね。
ゼーレの会議だけやってればいいんじゃないでしょうか。
そんなもん、人数減らした方が合理的だと思いますね。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年06月26日 16:36
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