僕は水彩派なので、油絵派のやり方が理解できない。
脚本はどちらだろう。
油絵とはつまり、
少しずつ線や色を重ねていって、
最後に完成する方法。
最初はぼんやりしていてもいいが、
徐々に陰影がついてきたり、
形が定まってきたりする。
数ヶ月かかってやっと詳細がきまってゆく。
デジタルの厚塗りもこれと同じで、
書き込めば書き込むほど良いとされる。
水彩画は逆だ。
一瞬の線が勝負で、
それだけで描ききる。
書き込めば書き込むほど汚くなるから、
新鮮なうちにすくいあげないといけない。
やり直しが効かないから、
それまでの練習を沢山する。
頭の中で出来上がるまでが時間がかかる。
そしてある日、行けるぞと思い一気にやる。
勢いや間のようなものがビビッドにかける。
アンドゥはない。
僕は、脚本は水彩画に似ていると思っている。
ただ、ダメだったところは油絵のように直せるアクリルに近いかも。
新鮮なセリフや思いのようなものは、
繰り返しやればやるほど、
濁っていく。
そもそも外に出てきた時点で、
それは既に練られたものだ。
逆に練られるまで外に出すべきではない。
一瞬で書いたものがひとつもよくないなら、
書く意味などなく、それは書く才能がないのだ。
油絵派の主張は逆だろう。
書けば書くほど良くなっていくと考えるだろう。
何度も書き直し、絵具が盛り上がってるところこそが、
一番大事なところだと思うに違いない。
芝居の考え方に近いかも知れない。
日本は新鮮な芝居を重んじる。
何度も機械的に同じ芝居など出来ないから、
同じ芝居で段取りっぽくなるのを嫌う。
一発OKの自然さが良いとされる。
ヨーロッパやアメリカは、
同じ動きをまず出来るまでやり、
何度も何度もテイクを撮る。
その中で段取り違いや感情の微妙な違いを撮り、
編集で選択肢を残す。
つまり編集でも油絵的にやる。
僕は頭の中が一番練る領域が広く自由だと考えているので、
原稿を何度も書き直したり、
芝居を何10テイクも撮ったり、
編集で順列組み合わせを撮ることは、
あまりいいことだと思っていない。
「それは既に想像して却下したものだ」
と思ってしまう。
で、
どちら派でも僕は良いと思うのだが、
共同作業するときには、
気をつけたほうがいい。
油絵派の粘りは、水彩派から見ればバカに見えるし、
水彩派の一気書きは、油絵派から見れば適当に見える。
だから齟齬がおきる。
油絵派は「脚本は直せば直すほど良くなる」し、
水彩派は「脚本は直せば直すほどだめになる」。
油絵派は準備は書きながらやるし、
水彩派は筆を取る前に仕事は殆ど終わっている。
僕は水彩派なので、
試行錯誤するやつらがバカに見える。
それは家でやって来いと思う。
もちろん、今あるものを見て、
更に良いアイデアが出るのなら歓迎だ。
それが今あるものをより強化するならば良し。
しかし今ある完成を捨ててまでやることなら悪い、
という判断は常にするべきだ。
弱点を指摘し、強化するアイデアを出すならば、
どちら派にもウェルカムだが、
「こうした方が良くなる」というアイデアの出し方は、
単に好みの方向に誘導しているに過ぎない。
水彩画を台無しにしているのか、
油絵を書き込んでいるのか、
それはどちらなのか、
あなたは分からなくてはならない。
2020年06月27日
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