2020年06月27日

油絵のやり方と水彩のやり方

僕は水彩派なので、油絵派のやり方が理解できない。

脚本はどちらだろう。


油絵とはつまり、
少しずつ線や色を重ねていって、
最後に完成する方法。

最初はぼんやりしていてもいいが、
徐々に陰影がついてきたり、
形が定まってきたりする。
数ヶ月かかってやっと詳細がきまってゆく。

デジタルの厚塗りもこれと同じで、
書き込めば書き込むほど良いとされる。


水彩画は逆だ。
一瞬の線が勝負で、
それだけで描ききる。
書き込めば書き込むほど汚くなるから、
新鮮なうちにすくいあげないといけない。

やり直しが効かないから、
それまでの練習を沢山する。

頭の中で出来上がるまでが時間がかかる。

そしてある日、行けるぞと思い一気にやる。
勢いや間のようなものがビビッドにかける。

アンドゥはない。


僕は、脚本は水彩画に似ていると思っている。
ただ、ダメだったところは油絵のように直せるアクリルに近いかも。
新鮮なセリフや思いのようなものは、
繰り返しやればやるほど、
濁っていく。
そもそも外に出てきた時点で、
それは既に練られたものだ。
逆に練られるまで外に出すべきではない。
一瞬で書いたものがひとつもよくないなら、
書く意味などなく、それは書く才能がないのだ。

油絵派の主張は逆だろう。
書けば書くほど良くなっていくと考えるだろう。
何度も書き直し、絵具が盛り上がってるところこそが、
一番大事なところだと思うに違いない。


芝居の考え方に近いかも知れない。

日本は新鮮な芝居を重んじる。
何度も機械的に同じ芝居など出来ないから、
同じ芝居で段取りっぽくなるのを嫌う。
一発OKの自然さが良いとされる。

ヨーロッパやアメリカは、
同じ動きをまず出来るまでやり、
何度も何度もテイクを撮る。
その中で段取り違いや感情の微妙な違いを撮り、
編集で選択肢を残す。
つまり編集でも油絵的にやる。


僕は頭の中が一番練る領域が広く自由だと考えているので、
原稿を何度も書き直したり、
芝居を何10テイクも撮ったり、
編集で順列組み合わせを撮ることは、
あまりいいことだと思っていない。
「それは既に想像して却下したものだ」
と思ってしまう。


で、
どちら派でも僕は良いと思うのだが、
共同作業するときには、
気をつけたほうがいい。

油絵派の粘りは、水彩派から見ればバカに見えるし、
水彩派の一気書きは、油絵派から見れば適当に見える。

だから齟齬がおきる。

油絵派は「脚本は直せば直すほど良くなる」し、
水彩派は「脚本は直せば直すほどだめになる」。
油絵派は準備は書きながらやるし、
水彩派は筆を取る前に仕事は殆ど終わっている。


僕は水彩派なので、
試行錯誤するやつらがバカに見える。
それは家でやって来いと思う。


もちろん、今あるものを見て、
更に良いアイデアが出るのなら歓迎だ。
それが今あるものをより強化するならば良し。
しかし今ある完成を捨ててまでやることなら悪い、
という判断は常にするべきだ。

弱点を指摘し、強化するアイデアを出すならば、
どちら派にもウェルカムだが、
「こうした方が良くなる」というアイデアの出し方は、
単に好みの方向に誘導しているに過ぎない。

水彩画を台無しにしているのか、
油絵を書き込んでいるのか、
それはどちらなのか、
あなたは分からなくてはならない。
posted by おおおかとしひこ at 00:27| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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