2020年06月28日

ガワと中身

ここをずっと見ている人にはおなじみの、ガワと中身。

どこからどこまでがガワなのか、
というのに特に定義はないのだが、
面白い資料を見たので引用して議論しよう。


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スケバン刑事(最初の、斉藤由貴版だろう)の、
企画資料と思われる。

なにやら楽しい要素満載だが、
これはすべてガワである、
という議論をしたい。

なぜなら、これらはすべて、
設定、またはパターンに関するものだからだ。


なお、スケバン刑事をつくっているのは、東映だ。
つまり仮面ライダーや戦隊の特撮アクション班がメインである。
またキカイダーやロボコンなどのロボット特撮もやってたから、
助さん角さん役の人がメカを作ることも想定されている。
(実際はなかったと思うが、あったらおもしろかったろうに)
また、東映は水戸黄門や必殺仕事人も作っていたから、
その流れもある。
さらに、東映アニメーションは北斗の拳もつくっていた。

つまり、ケレン味といえば東映だ。
(ちなみにドラマ風魔はこの影響下にあり、
実際に照明の故井上さんはスケバン刑事のライトマンでもあった。
撮影の菊池さんは戦隊ものもやっていたそう)

これらに関する言及が多いのは、
東映だから、ということをわかっておくと、
内容は理解しやすい。



で、本題。

これらのメモはすべて設定であり、
ストーリーではない。

あるいは、性癖を決めるレベルのディテールでしかない。


これらを読み込むと、
「暗闇司令に指示されたスケバン刑事は、
ある高校へ転校する。
そこで不良たちの問題に出会うが、
それは悪い大人たちにそそのかされた結果であり、
不良たちは踊らされていただけだったのだ。
スケバン刑事は、助さん角さん的な同級生たちと、
ついにその黒幕に辿り着き事件を解決、
踊らされていた不良たちは改心する。
そして次の指令により、
次の高校へ転校する」
というストーリーのパターンを読み取ることができる。

水戸黄門の大元の構造、「シェーン」を、
高校と不良と友情に置き換えたのだな、
と読み取れるわけだ。
(これをハードボイルドに読み替えれば「怪傑ズバット」になるよね)


しかし容易に想像できるとおり、
これはストーリーの辿るべきパターンでしかなく、
ストーリーそのものではない。

ではストーリーにはなにがいるだろうか?


事件だ。



不良たちはどのような事件を起こしたのか。
それはいかなる理由か。(表向きの理由)
そしてそれはどのような大人が、
なんのためにそうそそのかしたのか?(真の理由)

その事件発生の経緯と展開。
主人公麻宮サキがどうこれに出会い、
どのような関わり方をして、
どのように謎解き(調査)をしていくのか。

まずこの要素を決めなければ、
ストーリーの骨格にならないだろう。

これをメインストーリー、Aストーリーとすれば、
サブのBストーリーも作らなくてはならない。

すなわち、事件の被害者であるところの高校生と、
その友人などのストーリーだ。

たとえば部活のレギュラーを争っていたのだが、
不良たちに怪我をさせられ、試合に出られなくなった、
などのストーリーだろう。

このBストーリーは、視聴者が共感しやすい、
学園あるあるがチョイスされるに違いない。
恋、友情、家族や兄弟、部活、テスト、進路、
各種イベントなどが題材になり、
学園ドラマにもなる必要がある。

おそらくは転校した直後に友達となった助さん角さんのどちらかが、
このBストーリーの途中でAストーリーに巻き込まれて、
捜査開始となるはずだ。

結果、AストーリーもBストーリーも解決して一件落着、
というのが基本構造になるだろう。
そのときに「○○はこりごりさ」とか「今度は○○にしてみよう」
なんて軽口を叩き、テーマらしきものの暗示があるはずだ。


つまり、
事件、目的、展開、結果、
そして総括。

これらがストーリーには必要であり、
これらが中身だ。


あらためて冒頭の企画資料にもどると、
これらの言及はひとつもなく、
毎話のパターンを決めているにすぎない、
と読み込めるわけだ。

(もちろん、なぜ麻宮サキはスケバン刑事となったのか、
暗闇司令の正体、
サキの目的は何か、
などの更に大枠の中身が別資料にはあるはずだ)


つまり、
つくった中身を、このガワでコーティングします、
という資料でしかないことに気づかれたい。

つくった中身は、
たとえば韓国ドラマ風のガワをかぶせることもできるし、
妊娠出産中絶失明連発の、大映ドラマ風のガワをかぶせることもできるし、
スイーツ全開な少女漫画風のガワをかぶせることもできるわけだ。


僕は設定はストーリーではない、
といっているが、こういうことなのだ。

逆にストーリー作りとは、
これらのガワを作ることではないのだ。

初心者が設定は作れるがストーリーができない、
と悩むのは、設定とストーリーは別で、
ガワと中身は組み合わせを変えられることを知らないからだ。

だから、
中身を純粋に取り出して、
ああでもないこうでもないとこねくり回す経験が必要で、
ここではその具体についてひたすら議論しているわけなのだ。
(他の話題もおおいけど)


で、
最終的にその中身を、とあるガワの中にいれたものが、
最終的な脚本である。

そこから分離するのはなかなか難しいから、
ガワと中身を混同するのだろう。

出来上がった料理の味が、
素材なのか調理なのか分離できないのと似ていると、
僕は思う。


僕は、ストーリーのプロになるということは、
料理人が、
「ああ、これは素材は○○で、調理は○○だな、
なるほど、△△にしたらこうなるだろうな」
などと想像できる舌をつくることに、
似ていると考えている。

どうすればできるかだって?
たくさん作ることでしかない。
料理人がどれだけ皿を無駄にしていることか。
作品とは常に「次作る皿」のことだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:24| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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