このままこれを作っても詰まらないから、作るのをやめよう。
vs
完成させないとダメだ。詰まらないより、完成を優先とする。
これは個人内での葛藤ではない。
どこの現場でもあり得る、
監督と、プロデューサーの対立だ。
内容に責任のある監督は、
酷いものになると分かったら、
手を引きたがる。
陶芸の皿を割り、なるべく前に戻ってやり直すべきだと主張する。
それが出来ないのなら、
いっそ製作中止であると。
納品に責任のあるプロデューサーは、
すでに物凄い額の投資が行われ、
発表の場も決まっていて、
穴を開けるとしたら穴埋めも作らなくてはならないから、
完成を主張する。
ちょっとぐらいダメだってこともある、
どうせ完璧な作品などない、などと説得するだろう。
これは、両者の責任範囲が異なることで起こる悲劇である。
監督から見れば、
プロデューサーは完成しさえすればよく、
内容の責任は監督が全面的にかぶることになるから、
どうせ俺を出禁にするだけの尻尾切りだろうと不安がある。
「あいつはダメだったよ」と噂が流れる危険もある。
また、「じゃあ見せてみろや」という作品が、
この程度の出来で納品されるくらいなら、
なかったことにしたい。
プロデューサーから見れば、
完成に責任を負わない監督は、益々信用できないだろう。
我がまま監督なんて使うんじゃなかったと、
別の監督のことを思い出すかも知れない。
僕は、このすれ違いは、
互いの責任範囲を重ねれば良いと思うのだ。
プロデューサーだって詰まらない映画の責任を取るべきだ。
つまり、個人名が晒され、戦犯扱いされ、
なぜこれを止めなかったのか、
オナニー野郎と後ろ指を晒され、
今後「あああれを作った人ね」と馬鹿にされ、
どんな正論を主張しても聞き入れられない人生を歩むべきだ。
監督は、完成しない作品の責任も取るべきだ。
つまり借金の現金フローを把握して、
回収するだけの借金を負うべきである。
穴埋めが必要なら、急遽それも作るべきである。
問題は、もう引き返せない時にその決裂が決定的になることで、
「このままいくとやべえぞ」と不安を感じた時に、
「どうすればマシになるか、どうすれば納品レベルになるか」
について、
双方がアイデアを均等に出すべきだということだ。
それが、
「内容は監督任せ、文句言ってないで納品しろ」
というプロデューサーと、
「納品は知らん」
という監督がいるから、
この問題は解決せず、
現場がギスギスするのである。
僕の知る限り、
やばくなってきたら、
ちゃんとアイデアを出して、
「これなら面白くない?」と言ってきた人は、
数名しかいなかった。
くだらないから却下されたとしても、
それはアイデア出しの常識として、
その場から離れたら人格とは無縁である、
というルールを分かっていたプロデューサーだった。
恥ずかしがらずに堂々とアイデアを出せるのは、
現場の資質として重要だ。
僕は現場でやばそうなとき、
スケジュールを仕切り直せないか、
金のフローをこう出来ないか、
などについて相談することもあるが、
それが聞き入られたことはほとんどない。
大抵は「計画したことは動かせない」という理由だ。
何を言ってんだ。こっちだって計画変更を余儀なくされてるんだぞ。
アイデアの計画変更は良くて、
金や納期の計画変更はダメな理由がわからない。
こうして、たいしたアイデアの変更も効かないまま、
中止もせず、
むしろ直しまくったボロ雑巾のようになったものが、
期日通り納品されて公開される。
で、二度とやるかと喧嘩別れだ。
そうしたトラブルを起こさない、
「あーいいですよーやりましょー」という穏やかな監督だけが呼ばれ続け、
内容が糞だとしてもプロデューサーが責任を負わず、
糞だけが納品され続け、
そして現在の惨状へつながる。
原因は、
僕は責任の範囲を作ったことだと思う。
たとえばカメラマンは、
映画の絵だけが責任範囲だろうか?
下らないが絵だけ綺麗な映画でいいんだろうか?
小道具担当は?音楽担当は?
すべてのスタッフは、
内容がヤバかったら、どう立て直すかについて、
アイデアを出す権利と義務があると思っている。
もちろん才能の大小はある。
総責任者が監督や脚本家にあることもたしかだ。
しかしアイデアに貴賎はない。
主婦の発明が世界を変えることはどこででもある。
いま現場は、
納品しろと糞みたいなものを監督に押しつけて、
監督が降りられず血を吐き続け、
二度と呼ばれずに死んで行く、
という繰り返しが起こっていると思う。
それは映像の現場だけでなく、
ITや、オリンピックででも起こっていることだ。
まさかあんな陳腐な公式制服を、
現場がいいと思ってるわけないと、僕は思うのだ。
納品だけされる糞か?
穴があいた理想か?
ああなんとか良いものが、ちょっと納品遅れたけど出来たね、
となるのが現実的な解で、
「なぜこうなってしまったのか」
「こうならない為には何が必要だったか」
という反省会がどんどん行われるべきで、
それは業界全体がシェアするべきだと思うんだよね。
今日もそうならず、
どこかで誰かが死に、納品だけは守られてゆく。
2020年06月29日
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