2020年06月29日

究極の選択

このままこれを作っても詰まらないから、作るのをやめよう。
vs
完成させないとダメだ。詰まらないより、完成を優先とする。


これは個人内での葛藤ではない。

どこの現場でもあり得る、
監督と、プロデューサーの対立だ。


内容に責任のある監督は、
酷いものになると分かったら、
手を引きたがる。

陶芸の皿を割り、なるべく前に戻ってやり直すべきだと主張する。
それが出来ないのなら、
いっそ製作中止であると。


納品に責任のあるプロデューサーは、
すでに物凄い額の投資が行われ、
発表の場も決まっていて、
穴を開けるとしたら穴埋めも作らなくてはならないから、
完成を主張する。
ちょっとぐらいダメだってこともある、
どうせ完璧な作品などない、などと説得するだろう。


これは、両者の責任範囲が異なることで起こる悲劇である。

監督から見れば、
プロデューサーは完成しさえすればよく、
内容の責任は監督が全面的にかぶることになるから、
どうせ俺を出禁にするだけの尻尾切りだろうと不安がある。
「あいつはダメだったよ」と噂が流れる危険もある。
また、「じゃあ見せてみろや」という作品が、
この程度の出来で納品されるくらいなら、
なかったことにしたい。

プロデューサーから見れば、
完成に責任を負わない監督は、益々信用できないだろう。
我がまま監督なんて使うんじゃなかったと、
別の監督のことを思い出すかも知れない。


僕は、このすれ違いは、
互いの責任範囲を重ねれば良いと思うのだ。

プロデューサーだって詰まらない映画の責任を取るべきだ。
つまり、個人名が晒され、戦犯扱いされ、
なぜこれを止めなかったのか、
オナニー野郎と後ろ指を晒され、
今後「あああれを作った人ね」と馬鹿にされ、
どんな正論を主張しても聞き入れられない人生を歩むべきだ。

監督は、完成しない作品の責任も取るべきだ。
つまり借金の現金フローを把握して、
回収するだけの借金を負うべきである。
穴埋めが必要なら、急遽それも作るべきである。

問題は、もう引き返せない時にその決裂が決定的になることで、
「このままいくとやべえぞ」と不安を感じた時に、
「どうすればマシになるか、どうすれば納品レベルになるか」
について、
双方がアイデアを均等に出すべきだということだ。

それが、
「内容は監督任せ、文句言ってないで納品しろ」
というプロデューサーと、
「納品は知らん」
という監督がいるから、
この問題は解決せず、
現場がギスギスするのである。


僕の知る限り、
やばくなってきたら、
ちゃんとアイデアを出して、
「これなら面白くない?」と言ってきた人は、
数名しかいなかった。
くだらないから却下されたとしても、
それはアイデア出しの常識として、
その場から離れたら人格とは無縁である、
というルールを分かっていたプロデューサーだった。
恥ずかしがらずに堂々とアイデアを出せるのは、
現場の資質として重要だ。

僕は現場でやばそうなとき、
スケジュールを仕切り直せないか、
金のフローをこう出来ないか、
などについて相談することもあるが、
それが聞き入られたことはほとんどない。
大抵は「計画したことは動かせない」という理由だ。

何を言ってんだ。こっちだって計画変更を余儀なくされてるんだぞ。

アイデアの計画変更は良くて、
金や納期の計画変更はダメな理由がわからない。


こうして、たいしたアイデアの変更も効かないまま、
中止もせず、
むしろ直しまくったボロ雑巾のようになったものが、
期日通り納品されて公開される。


で、二度とやるかと喧嘩別れだ。

そうしたトラブルを起こさない、
「あーいいですよーやりましょー」という穏やかな監督だけが呼ばれ続け、
内容が糞だとしてもプロデューサーが責任を負わず、
糞だけが納品され続け、
そして現在の惨状へつながる。


原因は、
僕は責任の範囲を作ったことだと思う。

たとえばカメラマンは、
映画の絵だけが責任範囲だろうか?
下らないが絵だけ綺麗な映画でいいんだろうか?
小道具担当は?音楽担当は?

すべてのスタッフは、
内容がヤバかったら、どう立て直すかについて、
アイデアを出す権利と義務があると思っている。

もちろん才能の大小はある。
総責任者が監督や脚本家にあることもたしかだ。
しかしアイデアに貴賎はない。
主婦の発明が世界を変えることはどこででもある。


いま現場は、
納品しろと糞みたいなものを監督に押しつけて、
監督が降りられず血を吐き続け、
二度と呼ばれずに死んで行く、
という繰り返しが起こっていると思う。

それは映像の現場だけでなく、
ITや、オリンピックででも起こっていることだ。
まさかあんな陳腐な公式制服を、
現場がいいと思ってるわけないと、僕は思うのだ。


納品だけされる糞か?
穴があいた理想か?

ああなんとか良いものが、ちょっと納品遅れたけど出来たね、
となるのが現実的な解で、
「なぜこうなってしまったのか」
「こうならない為には何が必要だったか」
という反省会がどんどん行われるべきで、
それは業界全体がシェアするべきだと思うんだよね。


今日もそうならず、
どこかで誰かが死に、納品だけは守られてゆく。
posted by おおおかとしひこ at 00:07| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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