2020年06月29日

頭の中に一気に広げられる風呂敷は、1万字説

もちろん人によって異なる。
これが鍛えられるのかどうか分からない。


「書く道具」薙刀式カテゴリで、
そもそも「書くときの脳の中と手はどうなっているのか」
について興味深い議論をしたので、
脚本カテゴリにも貼っておく。

【薙刀式】思考の様式とタイピング
http://oookaworks.seesaa.net/article/475960819.html


僕は手書きのような感覚でキーボードを使いたく、
何年も工夫を続けているが、
(ブログなどで生産量を維持しつつ自作してるのは、
俺一人?)
結局手書きの方がええやんけ、
などと思っているのが目下の結論ではある。


ところで、
そのそもそもの思考の量というのは、
どれくらいなのだろう。

つまり、人は、映画シナリオや小説全部を、
頭の中に展開できるのだろうか?

僕は無理だと考えている。

物語体験というのは、
スコープのように限定された領域を、
ずらしながら見ていくことに近いと思う。

全体が俯瞰できないことそのものが、
物語体験ではないか、
と僕は考えている。

だから、記憶の圧縮が起こるし、
あらすじやログラインはストーリーを俯瞰する強力な道具だし、
人によって圧縮の仕方が違うから、
物語にはさまざまな解釈(や揺れ)がつきまとう。


で、本題。


じゃあ頭の中に展開できる分量ってどのくらい?

経験的に、
僕は1万字説だ。

それは大体30分のシナリオに相当する。

僕は、30分ドラマならば(準備すれば)一気書きできる。
実際風魔のシナリオは全部一気書きだ。

ところがそれ以上がとても難しい。
二時間映画のシナリオを書くとき、
もっとも挫折するポイントは、
第一ターニングポイント直後だと僕は思う。

それは、頭の中のものを使い切り、
へろへろになった瞬間だと僕は思うわけだ。

逆にいうとこれを避けるため、
最初に15分だけ一気書きをして、
15分から45分までを一気書きする、
という二段階メソッドを推奨したいくらい。
(ま、そのあと45分以降を書けなくなるんですけどね)


これは人によって違うのか?
最初からそうなのか?
鍛えれば増えるのか?
文体によっても違うのか?

まったくの謎だ。
薙刀式カテゴリでの議論でもわかるとおり、
まったく人によって思考の形式、
表現に至るまでのルートが違う。

で、人によって違うね、で終わってしまいそうなのだが、
もう少しどういうことが起こっているのかを僕は知りたい。

そうすれば、書くときの対処法が見つかるかも、
と考えている。

もし1万字限界説がただしければ、
7000字くらいでやめて力をためて、
次の7000字、
などのようにしていくと、
転ばずに走り続けられるのではないか。

長い小説を書くプロは、
一日3000字の人もいるという。
それ以上やると明日に貯まらなくなると分かっているからだ。

それくらいで、無理せず書くやり方を身につけるのも、
「最後まで書く」ことの達成には必要かも知れない。

なにせ、燃料切れは墜落である。
posted by おおおかとしひこ at 12:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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