練習は嫌いか?
つらいから嫌いか?
僕はそうは思わない。
なぜなら練習して成長した経験があるからだ。
成長しない練習しかしたことのない人は、練習が嫌いだろう。
成長する練習とは、どのようなものか。
基本的には、
泥にまみれる必要がある。
スマートな練習などない。
練習とはつねに液体を垂らしながらやるものだ。
汗でも涙でも鼻水でも血でも精液でもよい。
とにかく泥にまみれることが大事で、
全力を出し切らないスマートな練習など、練習のふりに過ぎない。
で、そこで自分を再発見しないと練習の意味などない。
これは辛い、これは苦手、
これは得意、これは楽。
これらを仕分けすることに、
練習の意味がある。
だから得意なことをやるのは、練習でもなんでもない。
何がつらいか、やってみるまで分らないからだ。
一回挫折したことでも、いまやってみたらできるようになっているかもしれないし、
やっぱりダメかもしれない。
それはやってみないと分らない。
で、本気でやってもダメなことを把握したら、
何はできるのかも把握できると思う。
そしてそれを言葉にしておく。
自分はこれが得意、自分はこれが苦手と。
得意なことだけをやってみよう。
どんどん進むだろう。
それで自分の得意パターンをつくっても良い。
それは作風とよばれ、オリジナリティを生むだろう。
あなたが得意なことは、他の誰もが得意とは限らないから、あなたの強みになるかもしれない。
(みんな得意だから、平凡かもしれない)
さて。苦手は放置していても良いか?
しばらくそれを避けることは賢い生き方ではある。
しかしいつかそれに挑戦して克服すれば、
あなたの武器になるかもしれないのだ。
あなたの弱点が分れば、
それが得意な作家、
それを苦手とする作家を探すことができる。
(ググっても出てこないから、
これまで沢山見てきた作品から、記憶で探すしかないよ。
こういう時のために、普段から沢山見ておくことはとても大事だ)
得意な作家はどうやっているか勉強する。
模写する、真似をする、アレンジする。
苦手な作家の失敗を反省してみる。
どうすればよかったのか、こういう躱し方はなかったか、こういう解決策が出来たのでは。
そうこうしているうちに、
その弱点に関する知見がたまる。
苦手なものは、詳しいものになる。
そうすると、いつかそれを克服できるようになる。
大逆転するほどでもないが、
普通に書けるようになっていることが多い。
じゃあ得意なことに戻ったら、
欠点のないオリジナリティがそこにあるぞ。
最初が肝心だ。
つまり、
「自分は〇〇が苦手である」と言葉にすることがだ。
キャラクターが弱い、だけでは不十分で、
キャラクターのセリフが弱い、かもしれないし、
キャラクターの感情移入が弱い、かもしれない。
なるべく細かく分析していくことだ。
あるいは、キャラの初登場のインパクトが欠けている、
などのピンポイントに気づくかもしれないしね。
細かければ細かいほど、
観察も細かくなる。
「あの人はどうしているのか」という研究が進みやすい。
そうしたことに気づくには、
なんでも本気でぶち当たることだ。
そうすると、自分がこんなに本気を出しているのに、
なお足りないところがあぶりだされるわけだ。
プロは毎日こんなことを考えている。
アマチュアが考えないでいいはずがない。
だから、わざとやっていないことをやるのである。
逆張りではない、ほんとうの苦手領域の挑戦だ。
得意技を磨くのは大事だ。
しかし剣はいつまでも切れるものではない。
泥に足を取られ、剣が振るえないこともある。
そのときに生きるのは、
「あのときそういえばこうやったな」
だ。
いまが、その、あのときだ。
2020年07月02日
この記事へのコメント
コメントを書く