2020年06月29日

読書感想文の是非

学ぶことは何事も教師次第。
僕はいい国語の先生に当たったので、
今日まで生きてきた。

「読書感想文は必要?」国語教師の問いかけが議論呼ぶ 
「強制がよくない」「自分の意見を持つ訓練になる」
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/18493039/


僕は、読書感想文だけでは不十分だと考える。
世の中のことに対して自分の意見を書く文章や、
他人の意見を批判する文章や、
いいところを褒める文章もやるべきだと思う。
そして、文章だけでなく、
その場で話すこともやるべきだと思う。
そして、
自分と違う意見を尊重したり、
違う意見を聞いて別のことに気づくべきだと思う。
さらに、
意見と人格は違うことも学ぶべきだと思う。

ここまでやれる前提で、
読書感想文は大いにやるべきだし、
役に立つと考える。

僕の恩師の中條先生は、
こうしたことの基礎を教えてくれた。

毎週毎週、何を書いてもいい作文があり、
最初は何を書いていいかわからなかったが、
「先週の良かったやつを俺が朗読する」と先生が言い出して、
なるほど面白い文章とはこういうものかと目が覚めて、
朗読されることを目標に書き始めた。
しばらくして、僕は先週の良かったやつの常連になり、
そこから僕の文章への自信がはじまったかもしれない。

そうした、根本的に大事なことを教えられる、
国語教師がいるべきだ。


その中での一環で、
本はどう読むと面白いのか、
同じ本を読んでこうも違う意見が出ることの不思議さ、
面白さ、異なることへの不快感、興味、
などについて話し合う時間があれば、
読書感想文は最高に面白い。

日本人は「自分の意見を持ってはいけない」
と長いこと言われてきた。
「相手の意見を真正面から否定してはいけない」とも。
僕は、その両方をやるべきだと思う。
そして、議論の場の否定と、
社会の場の否定は違うことも、
学ぶべきだと思う。

こうした教育が前提で、
読書感想文はどんどんやるべきだ。


ただの強制で、いやいややって、
何かをコピペして、トラウマになるならば、
やめたほうがいい。

ちなみに僕は体育と音楽の授業でそうしたトラウマがある。
苦手な人が廃止を訴えてもしょうがない。
優秀な人を伸ばし、
苦手な人を軌道に乗せるのも、
教育者の仕事だ。
それが出来てないなら、読書感想文なんてやめちまえ。
おれが教えてやるぜ。

あるいは、面白い大人、文章が書ける大人が教える、
読書感想文の授業があったっていい。
世の中の価値が一つじゃないことを知るだけで、
人生の勉強になる。
posted by おおおかとしひこ at 21:53| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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