これはシリーズものを考える上で重要な視点だ。
T1(B級なのにA級のアイデアとシナリオ)、
T2(A級のシナリオにA級の予算が噛み合った映画史に残る傑作)
の成功と、
以降のリブートしてはリセットする、
うんこシリーズとは何が違うのか?
はいシンキングタイム。
僕の答えは、感情移入だ。
T1で、私たちはサラコナーに感情移入した。
眠っていた女が、救世主の母に叩き起こされる話だと言える。
T2では、
狂気と扱われながら独房で訓練を怠らないサラコナーに感情移入し、
まさかの敵であったはずのターミネーターにも感情移入した。
わたしたちは、
この感情移入の続きを見たい。
にも関わらず、以降ではこれは毎回無視されている。
T3でサラコナーは出なかった。
(シナリオに不満があった役者の降板といわれる)
せっかく感情移入したターミネーターは死んだので、
一からターミネーターに感情移入することが困難だった。
毎回記憶喪失の人に感情移入などできないのだ。
(そしてこれは、
シュワルツネッガーが未来から来た新しいロボットを演じる限り、
毎作繰り返される愚である)
やさぐれたマコーレカルキンみたいなジョンコナーには、
まったく感情移入できない。
その妻となる女性にもだ。
いつまでたっても彼ら主役への感情移入が入らないまま、
映画は終わってしまう。(ラストだけは評価する)
これは、Zガンダムやキン肉マン2と同じ、
続編の愚である。
アムロへの感情移入が強いため、
カミーユへは感情移入できなかった。
キン肉マンへの感情移入が強いため、
キン肉マン太郎への感情移入はできなかった。
主役を交代するのは悪手か?
悪手とは限らない。
「先代への感情移入を超える感情移入がある」
かぎりにおいては、という限定付きで。
つまり単独映画としてT12を超えられていたら、
やさぐれたマコーレカルキンやその彼女にも、
我々は感情移入し、
サラコナーや自我を持ったターミネーターを忘れたことだろう。
それが出来ない場合、
シリーズの感情移入を牽引するのは、
先代主人公への感情移入である。
つまりT3は、結果論だが、
サラコナーを主役にするべきだった。
そしてどこかで死に、ジョンコナーへ主人公交代するべきだったと思う。
(なぜなら、審判の日以降の主役は、
人類のリーダーだろうからだ。
もちろん、リーダーの母が主人公のような物語があってもよいが)
そして自我を持ったターミネーターの映像などが残っていて、
それらをターミネーターの一体が学習などするして、
「私たちが感情移入したターミネーター」が帰ってくるべきだったろう。
登場人物は、ストーリーを進める船である。
好きになり、乗り慣れた船だから、
わたしたちは安心して「続き」を楽しみにするのである。
T4はせっかく未来を舞台にしたのに、
主人公はジョンコナーではなくターミネーター側だった。
せっかくT3でリーダーに目覚めたジョンコナーへの、
感情移入の続きが見たかったのに。
詰まらなかったので詳しくはなにも覚えてない。
リブートその1は、改変された世界というアイデアは良くて、
感情移入が新しく復活するかと思ったが打ち切り。
オリジナルキャスト復活のリブート2の世界線は、
シュワルツネッガーもサラコナーも、
じじいとばばあになっていて、
私達の感情移入した人ではなかった。
百合話は少しの感情移入はあるものの、
我々が期待した、「感情移入の続き」ではない。
どうすればよかったのかというと、
おそらくは、
「きちんとジョンコナーが主人公であるための、
感情移入に至るファーストエピソード」
があればよかったのだ。
T3のラストはそれに値する瞠目する出来だが、
同等のものがT3の序盤にあり、
ラストへと至って変化するべきだった。
それは結局、
「シリーズとはいえ、それは映画である」
ということに過ぎないんだけど。
T3以降は、映画としての出来が悪い。
アクションムービー、CGショーケースとしては、
そこそこ出来が良いが、
肝心のストーリー(どうせ毎回おっかけっこなのだが)、
その中核である感情移入が、
T12を凌駕しなかったがゆえに、
映画として三流以下だったのだ。
感情移入はどうやったらできるか?
それに関してはたくさん書いたのでここでは繰り返さない。
僕は、
あの若かった娘が、
自覚と共に女戦士になったサラコナーの、
感情移入の続きが見たい。
ただの若い娘が大変な使命を持つことを理解し、
死ぬ覚悟で未来から自分に会いに来たカイルリースに抱かれ、
失い、お腹の子がいる状態で、
「Storm is coming」とガススタのおっさんに言われた時に、
(目の前の嵐ではなく、未来の戦いの運命の意味での嵐を)「I know」
と返した彼女の、続きが見たい。
どういう聖母になろうとしたのか、
その戦いと、受け継がれた魂の子の話を見たい。
「何故人間が涙を流すのか分からなかったが、
今なら分かる」と言ったターミネーターの、
親指を立てて自分を消滅させることで審判の日を防いだターミネーターの、
続きが見たい。
それが、シリーズを見続けることだと思う。
で、おそらくだけど、
キャメロンはそれを書くだけの実力がなかったのだ。
それらを分かった上で続きの話を語れる人も、
現れなかったのだ。
シリーズ物をやるときの感情移入。
これに気をつけている人は、どれくらいいるのだろう。
分かってない人は多いよね。
古客だけに愛想を振りまき、ご新規さんをないがしろにするよね。
僕は、毎回毎回主人公に強く感情移入する、
新しいエピソードを冒頭近くに置くことが、
映画一本としても、シリーズとしても、ベストのやり方だと考える。
だがシリーズ物はそこを手を抜いていると、大体において感じている。
外側から見れば、前作の感情移入に、甘えている。
だから、人気も出来も下降するんだよな。
2020年07月04日
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