2020年07月04日

なぜターミネーターのリブートは毎回失敗するのか?

これはシリーズものを考える上で重要な視点だ。
T1(B級なのにA級のアイデアとシナリオ)、
T2(A級のシナリオにA級の予算が噛み合った映画史に残る傑作)
の成功と、
以降のリブートしてはリセットする、
うんこシリーズとは何が違うのか?

はいシンキングタイム。



僕の答えは、感情移入だ。


T1で、私たちはサラコナーに感情移入した。
眠っていた女が、救世主の母に叩き起こされる話だと言える。
T2では、
狂気と扱われながら独房で訓練を怠らないサラコナーに感情移入し、
まさかの敵であったはずのターミネーターにも感情移入した。

わたしたちは、
この感情移入の続きを見たい。

にも関わらず、以降ではこれは毎回無視されている。


T3でサラコナーは出なかった。
(シナリオに不満があった役者の降板といわれる)

せっかく感情移入したターミネーターは死んだので、
一からターミネーターに感情移入することが困難だった。
毎回記憶喪失の人に感情移入などできないのだ。
(そしてこれは、
シュワルツネッガーが未来から来た新しいロボットを演じる限り、
毎作繰り返される愚である)

やさぐれたマコーレカルキンみたいなジョンコナーには、
まったく感情移入できない。
その妻となる女性にもだ。

いつまでたっても彼ら主役への感情移入が入らないまま、
映画は終わってしまう。(ラストだけは評価する)


これは、Zガンダムやキン肉マン2と同じ、
続編の愚である。

アムロへの感情移入が強いため、
カミーユへは感情移入できなかった。
キン肉マンへの感情移入が強いため、
キン肉マン太郎への感情移入はできなかった。

主役を交代するのは悪手か?

悪手とは限らない。
「先代への感情移入を超える感情移入がある」
かぎりにおいては、という限定付きで。


つまり単独映画としてT12を超えられていたら、
やさぐれたマコーレカルキンやその彼女にも、
我々は感情移入し、
サラコナーや自我を持ったターミネーターを忘れたことだろう。

それが出来ない場合、
シリーズの感情移入を牽引するのは、
先代主人公への感情移入である。

つまりT3は、結果論だが、
サラコナーを主役にするべきだった。

そしてどこかで死に、ジョンコナーへ主人公交代するべきだったと思う。
(なぜなら、審判の日以降の主役は、
人類のリーダーだろうからだ。
もちろん、リーダーの母が主人公のような物語があってもよいが)

そして自我を持ったターミネーターの映像などが残っていて、
それらをターミネーターの一体が学習などするして、
「私たちが感情移入したターミネーター」が帰ってくるべきだったろう。


登場人物は、ストーリーを進める船である。
好きになり、乗り慣れた船だから、
わたしたちは安心して「続き」を楽しみにするのである。

T4はせっかく未来を舞台にしたのに、
主人公はジョンコナーではなくターミネーター側だった。
せっかくT3でリーダーに目覚めたジョンコナーへの、
感情移入の続きが見たかったのに。
詰まらなかったので詳しくはなにも覚えてない。

リブートその1は、改変された世界というアイデアは良くて、
感情移入が新しく復活するかと思ったが打ち切り。

オリジナルキャスト復活のリブート2の世界線は、
シュワルツネッガーもサラコナーも、
じじいとばばあになっていて、
私達の感情移入した人ではなかった。

百合話は少しの感情移入はあるものの、
我々が期待した、「感情移入の続き」ではない。


どうすればよかったのかというと、
おそらくは、
「きちんとジョンコナーが主人公であるための、
感情移入に至るファーストエピソード」
があればよかったのだ。

T3のラストはそれに値する瞠目する出来だが、
同等のものがT3の序盤にあり、
ラストへと至って変化するべきだった。

それは結局、
「シリーズとはいえ、それは映画である」
ということに過ぎないんだけど。


T3以降は、映画としての出来が悪い。
アクションムービー、CGショーケースとしては、
そこそこ出来が良いが、
肝心のストーリー(どうせ毎回おっかけっこなのだが)、
その中核である感情移入が、
T12を凌駕しなかったがゆえに、
映画として三流以下だったのだ。



感情移入はどうやったらできるか?
それに関してはたくさん書いたのでここでは繰り返さない。


僕は、
あの若かった娘が、
自覚と共に女戦士になったサラコナーの、
感情移入の続きが見たい。

ただの若い娘が大変な使命を持つことを理解し、
死ぬ覚悟で未来から自分に会いに来たカイルリースに抱かれ、
失い、お腹の子がいる状態で、
「Storm is coming」とガススタのおっさんに言われた時に、
(目の前の嵐ではなく、未来の戦いの運命の意味での嵐を)「I know」
と返した彼女の、続きが見たい。

どういう聖母になろうとしたのか、
その戦いと、受け継がれた魂の子の話を見たい。

「何故人間が涙を流すのか分からなかったが、
今なら分かる」と言ったターミネーターの、
親指を立てて自分を消滅させることで審判の日を防いだターミネーターの、
続きが見たい。

それが、シリーズを見続けることだと思う。


で、おそらくだけど、
キャメロンはそれを書くだけの実力がなかったのだ。
それらを分かった上で続きの話を語れる人も、
現れなかったのだ。


シリーズ物をやるときの感情移入。
これに気をつけている人は、どれくらいいるのだろう。

分かってない人は多いよね。
古客だけに愛想を振りまき、ご新規さんをないがしろにするよね。

僕は、毎回毎回主人公に強く感情移入する、
新しいエピソードを冒頭近くに置くことが、
映画一本としても、シリーズとしても、ベストのやり方だと考える。

だがシリーズ物はそこを手を抜いていると、大体において感じている。
外側から見れば、前作の感情移入に、甘えている。

だから、人気も出来も下降するんだよな。
posted by おおおかとしひこ at 00:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。