2020年07月06日

見たことのあるものの再現vs見たことのないものをつくる

どっちが正しいんだ?


見たことのないものを見たとき、
人はその価値を決められず、
戸惑うことがある。

はじめて飲んだビールの何がうまいのか理解できなかったり。
はじめて付き合う彼女というものの価値がわからなかったり。

たくさんの酒を飲んだあとだと、
ビールはうまいなと分かるし、
たくさんの異性と付き合えば、
最初の彼女はいい子だったんだなあとわかったりする。

自分の中で評価軸ができるからだ。



芸術をつくる最初の動機は、
「あれみたいなやつをつくりたい」
であることが多い。

人は真似をする生き物で、
完コピできないからその人オリジナルなノイズが混じり、
いい塩梅のときはいい仕事をする。

でもそれは、どこかで見たものでしかない。
表現した側は満足する。
だって偉大な過去のものに、
自分なりのオリジナリティをのっけられたから。

それは巨人の肩に乗ったにすぎない。
ちっともオリジナルだと思われてなくて、
過去にあったものの再生産空間のひとつだと思われている。


だからそのうち、「見たこともないやつをつくりたい」
と考えるようになる。

だけど、
最初に飲んだビールと同じで、
その見たこともないやつは、
いいのか悪いのかわからないのである。


だから、
あることを表現するのには、
まったく新しいことをやりながら、
「今までの何かとの接続、
地続きの誘導」をするべきだ。

この話で言うとビールがその役割をしている。
ビールのたとえはわかるだろと。


まったく新しい何かを作ろうとする人。
それだけだと不安な人。
また同じやつじゃんかと不満な人。
定番の安心を得たいだけの保守的な人。

世の中は、さまざまな人で出来ている。

その中で、尖ってもよい。
全部を等しく満足させてもよい。
中途半端な分量の満足ならば、
存在の価値は無いと思う。


あなたはどうしたいのか。
半歩先にはどういう流れになりそうか。
波と自分の進む先を見て、
ボードに乗ればいいだけだ。


僕は、見たことのあるものの再現は、
レベルが低いと思う。
素人の学芸会で優勝でもしてればいいんだよ。

まったく新しいことをやることが、レベルが高いことだと思う。

しかしスパコンが二番じゃダメなんですかと、
レベルを下げさせられることはよくある。
そのときに、二番のふりをした一番をつくれるかが、
波に乗れるかどうかが決まるわけだ。


世の中には、節穴のほうが多い。
あなたの仕事を正しく評価する人なんていない。

ただし、新しいかどうかだけは、
誰でもわかるぞ。


見たことのある安心感の衣をつけた、
どう新しいかが、新しさの方向を指差す。
posted by おおおかとしひこ at 00:04| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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