どっちが正しいんだ?
見たことのないものを見たとき、
人はその価値を決められず、
戸惑うことがある。
はじめて飲んだビールの何がうまいのか理解できなかったり。
はじめて付き合う彼女というものの価値がわからなかったり。
たくさんの酒を飲んだあとだと、
ビールはうまいなと分かるし、
たくさんの異性と付き合えば、
最初の彼女はいい子だったんだなあとわかったりする。
自分の中で評価軸ができるからだ。
芸術をつくる最初の動機は、
「あれみたいなやつをつくりたい」
であることが多い。
人は真似をする生き物で、
完コピできないからその人オリジナルなノイズが混じり、
いい塩梅のときはいい仕事をする。
でもそれは、どこかで見たものでしかない。
表現した側は満足する。
だって偉大な過去のものに、
自分なりのオリジナリティをのっけられたから。
それは巨人の肩に乗ったにすぎない。
ちっともオリジナルだと思われてなくて、
過去にあったものの再生産空間のひとつだと思われている。
だからそのうち、「見たこともないやつをつくりたい」
と考えるようになる。
だけど、
最初に飲んだビールと同じで、
その見たこともないやつは、
いいのか悪いのかわからないのである。
だから、
あることを表現するのには、
まったく新しいことをやりながら、
「今までの何かとの接続、
地続きの誘導」をするべきだ。
この話で言うとビールがその役割をしている。
ビールのたとえはわかるだろと。
まったく新しい何かを作ろうとする人。
それだけだと不安な人。
また同じやつじゃんかと不満な人。
定番の安心を得たいだけの保守的な人。
世の中は、さまざまな人で出来ている。
その中で、尖ってもよい。
全部を等しく満足させてもよい。
中途半端な分量の満足ならば、
存在の価値は無いと思う。
あなたはどうしたいのか。
半歩先にはどういう流れになりそうか。
波と自分の進む先を見て、
ボードに乗ればいいだけだ。
僕は、見たことのあるものの再現は、
レベルが低いと思う。
素人の学芸会で優勝でもしてればいいんだよ。
まったく新しいことをやることが、レベルが高いことだと思う。
しかしスパコンが二番じゃダメなんですかと、
レベルを下げさせられることはよくある。
そのときに、二番のふりをした一番をつくれるかが、
波に乗れるかどうかが決まるわけだ。
世の中には、節穴のほうが多い。
あなたの仕事を正しく評価する人なんていない。
ただし、新しいかどうかだけは、
誰でもわかるぞ。
見たことのある安心感の衣をつけた、
どう新しいかが、新しさの方向を指差す。
2020年07月06日
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