リアクションを考えよう。
リアクションというのは、日本語では、
「驚いた顔をする」とか、
「爆笑、無反応」とか、
「『熱い!』と面白い動きをする」とか、
そういう意味合いで使っていると思うが、
映画のシナリオでは、
リアクションというのは、
「反応したあとの次の行動」を意味することが多い。
何かあったときに、
日本語でいうところのリアクションをして、
それから何かを考え、
シナリオでいうところの具体的行動のリアクションに出る、ということだ。
その結果、
またこれに対して誰かが思うことがあり、
リアクションする。
それに対してリアクションし、
それに対してリアクションし……
というループでシナリオは回る。
僕は時々「手」と将棋やチェスに例えるが、
何か手を打ったら、それに対してまた誰かが手を打つ、
ということの繰り返しが、ストーリーの骨格だ。
そしてそれが互いに目的が相反しているから、
コンフリクトになるわけだ。
リアクションを考えよう。
あることが起こったとき、
それがその人の目的にとって望ましいことならば、
支援行動に走るだろう。
それがその人の目的に反することならば、
反対行動、威嚇や妨害、逃走、騙されたふりなどの駆け引きなどをするだろう。
黙っていては目的を達成できない。
そうしたことで、反応に反応を重ねていくと、
それはストーリーになるわけだ。
とくにプロットを組んでいるときに、
このリアクションを熟考すると、
プロットの俯瞰がしやすくなる。
こういう状況で、こういうことが起こったら、
この人はどういう行動をするだろう、
と構想すればよいのだ。
これが、日本的なリアクションがリアクションだと思っていると、
「涙をぬぐう」とか「窓を開けて空を見つめるのであった」とか「黙って拳を握りしめる」とか、
一行のことを考えてしまいがちだ。
それはプロット段階では描くことは意味がない。
もう少しキャラクターが煮詰まってきてから、
その人特有の反応や癖を創造すればいいだけのことで、
プロット段階では、
「ショックを受ける」とか、適当に書いていればいいだけだ。
むしろ重要なのは、そのあとにどういう行動で応えるかだ。
「ショックを受けた結果、攻撃に出る」とか、
「ショックを受けた結果、部下を飲みに誘い、一夜を共にしてしまう」とか、
「ショックを受けた結果、会社を辞めてユーチューバーになり犯罪履歴を暴露する」とか、
行動で示すべきである。
そしてその行動の積み重ねそのものが、
プロットであるわけだ。
日本的なリアクションなど、シナリオにとってはほぼどうでもいい。
(最悪、役者が効果的なアドリブをすることだってある)
重要なのは、反応した結果の行動の意味でのリアクションであり、
その次にどういう行動に出るのか、
というさらなる行動である。
行動はアクションだ。
アクションはなにも殴ったり走ったりすることではない。
アクションで映画はものごとがすすむ。
顔芸では話はすすまない。
態度を表明する、非難する、攻撃する、
誰かに情報を漏らす(相談という形で)、
うっかり失敗する、
作戦を立てて実行する、
などはすべてアクションである。
他にどういうアクションがあるだろう。
それらをリストアップしてみよう。
それが、あなたがプロットで書くべきことなんだよ。
2020年07月09日
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