2020年07月10日

俳優の間と観客の間は違う

経験則。
撮影して編集してみるとよくわかる。

大抵、俳優の間は長い。
編集後の間は、詰められていることが多い。
(日本映画はワンカット長回しが多いため、
たるいテンポが多いぞ)

なぜ違うのか、説明できるだろうか。


俳優は、話を理解しながら演じているからだ。


つまり、
今目の前で起きていることに、
リアルで反応するわけではなく、
筋書きを知った上で作った反応をしている。

だから、
「俳優が理解する時間」だけの間が空いてしまう。


これは、「他人に何かを説明する自分」を撮影し、
再生してみることでよくわかる。

「自分で話す説明を、理解して確認しながら話す時間」
が、あなたの間に含まれているよ。

講演会、授業、喫茶店の話。
そうしたものは、「話を自分で理解しながら話す」が存在する。



映画において編集された間の場合、
観客の理解を置いてけぼりにして、
ガンガン進めるテンポも存在する。

そこで一息ついて、「あれは何だったんだ!」
と展開することもある。

あるいは、ちょうどいいテンポで、
先回りした半歩先の回答が用意されていたり。
(これを2時間煮込んだものがこちら)


こうした「飛ばし」をせずに、
俳優たちはつい「理解しながら」演じてしまう。


もっとも、
それが上手に書いていない脚本だから、
俳優はそうなってしまうのだ。

臨場感があり、
「ああ、ここではこの人は起こっている状況を理解できず、
流されているのだな」
と俳優が理解すれば、
観客のテンポで演じるかも知れない。


つまり、
退屈な間は、そもそも脚本に問題がある。


すべてを分かって演じたとしても、
「ああ俺はこの状況をよく分かっていない」
という文脈が存在すれば、
俳優はそのように演じる。

そうなっていない、
全部どうなるか分かった上でつい書いてしまった脚本は、
全部どうなるかわかった上で演じられ、
やっぱり間がたるいし、段取りになる。


いま、その登場人物は、
過去と、いましか見えていない。

未来がどうなるか、誰にも分からない。

その時にその人はどういう反応をするか、
どういう判断をするのか、
書けていなければ演じることもできない。

それを俳優のアドリブに頼るのは、
あなたが演技、すなわちお話そのものを放棄している証拠である。
posted by おおおかとしひこ at 00:19| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。