2020年07月06日

落ちをつける力

関西人はこの点において有利だろうね。
なぜなら、「普段から落ちをつけないと、話をする資格がない」からだ。


話の落ちは、何も笑いであるとは限らない。

ぼくは、「新しい発見」であるべきだと考えている。

感心、新情報、新しい考え方、
そんなこと考えたこともなかったこと。

大阪の落ちはそこに笑いが必要だという文法だけど、
笑いは大阪以外では是非ものではない。


そもそも新しい発見に至らない落ちは、
落ちではないと思う。

確認や、報告、通達のレベルに過ぎない。

話をするに値しないとすら思う。



だいぶ昔に見た、
忘れられない「すべらない話」がある。
ほっしゃんだったかな、宮川だったかな。
こんなのだ。(一言一句はぼくの記憶による再現)


ウチで最近九官鳥飼うことにしたんですよ、
おかんが飼いたいいうて。
で、おかんに懐いてたかなと思ってたら、
風呂上りのおかんを見て、
ギャーギャー騒ぐんですわ。親の仇みたいに。
なんやろー懐いてたのにーなんて言うて、
「おかん化粧落としたら別人やから敵と思たんと違う?」
とか突っ込んでたんですわ。

で、ある日田んぼを歩いてて、
最近のカラス避けって、CD紐に繋いだりするんやなあ、
なんてことに気づいたんですよ。
そこで、うわ!って思い出して。

おかん、めっちゃ乳輪デカいんすわ。



落ちの条件は、なるべく短く切れよくいくことだ。
大阪の場合は爆笑が最上の落ちだが、
必ずしも笑いになる必要はない。
むしろ重要なのは、「それ?」という新しい発見だ。

「鳥は目玉状のものを怖がるが、
おかんのめっちゃ大きい乳輪も、目だと思って怖がる」
という「新しい発見」こそが、
この話の落ちである。

「目みたいなんや」と、松本が笑っていたのを思い出す。
デカい乳輪は目みたいで怖いよね。


さて、この話は実話ではない。
演者が練りまくった創作である。
つまり、私たちが書くストーリーと、同じ作り方をしている。

落ちの発見、「乳輪めっちゃでかいと鳥が怖がる」
を爆笑につなげるために、
どういう前振りや展開があると面白いのか、
という場面場面を練りまくった秀作である。

おかんの風呂上りが、冒頭の伏線になっている。
そして謎解き構造になっている。
九官鳥が騒いだ理由を、田んぼのCDが解くわけだ。
謎解き構造はストーリーの魅力的な形式のひとつで、
「なぜだろう」と一回思ったら抜け切れない吸引力がある。

上手なのは「おかん化粧濃いから」のくだりで、
クスリと笑いを取って、
一旦九官鳥の話を終わらせた振りをしている部分だ。

このことによって、「九官鳥が騒ぐ」が伏線であることを一旦忘れる。
直後に場面転換が来ることで、
田んぼに頭の中の風景は上書きされるため、
一旦記憶に格納されてしまう。

だから、落ちが来た時に、「ああ、あのときの!」
と、伏線が解消する仕組みになっている。


この、マジックのような視線誘導は巧みだ。
「なんで九官鳥が騒いだんやろう」と思いながら外に出ると、
田んぼにCDがあって、
と、焦点を続けたら面白くない。
一回違うところに焦点を誘導して、
前の焦点を忘れさせるところに妙味がある。



大阪人は、
「話をしてくれ」と言われたら、
このクラスを目指す。
もちろん毎回うまくいくとは限らない。

しかし毎日毎日、「どうやったら面白い落ちになるか」
を条件反射的に考えることで、
あるいは周りにオモロイ奴がいて真似することで、
ストーリーの組み立てを自然に学べる余地がある。
大阪ローカル番組では毎日お笑いやってるし。

この毎日の鍛錬が、「落ちのあるべき形」を鍛えるのだ。


注目すべきは、「おもんないやつの話はいらん」となって、
ストーリーテラーでないものは淘汰されることである。

残ったオモロイやつだけが、話をする資格がある。



ぼくが東京にきたとき、あるいは関西人が東京にきたとき、
思うことはひとつ「落ちは?」だ。

なにも爆笑で終われと強制しているわけではない。

「その話はなんのためにしたのか」が不明確なので、
それはストーリーの形として不十分である、
と文句を言っているのである。

逆に、大阪以外のストーリーテラーは、
落ちをつけ慣れていない。



ぼくが短編をたくさん書け、としつこく言う理由は、
毎日違う落ちのパターンをつくりなさい、
と言うことに他ならない。

だって大阪人は毎日違う落ちをつけて笑いをとってるんだぜ。

それに勝てよな。


もちろん、笑いの方向に持っていく必要はない。
落ちとはもっと広い概念だ。

しかし、その話をする意味があり、
冒頭からきちんと仕掛けがなければ、
そしてそこに発見がなければ、
それは落ちでもなんでもない。

笑い以外の何かは、あなたの作家性ですらある。

だが大阪人のデイリー爆笑落ちに負けるならば、
それは大したことのない作家性だ。
posted by おおおかとしひこ at 13:13| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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