ローソンのオシャレクソデザインが、
パケ写真を入れるなどして撤回されたそうだ。
(回収前に生で見ておくべきだった)
なぜローソンプライベートブランドのデザインは、
無印良品のようにして失敗したのか?
逆に、無印良品はなぜ成功しているのか?
つまり、デザインとは何かという話をする。
デザインはどうあるべきか?
オシャレだったら良いのか?
流行りを追いかけ、その半歩先で良いのか?
それはどうでも良いと僕は考えている。
そこそこオシャレであれば、
まあ大体は合格だろうと。
それよりも第一優先するべきことがあると思う。
「命を刈り取る形をしている」
というセリフが有名だ。
僕は、「それはそれとわかる形をするべき」
だと考えている。
専門的にはアフォーダンスというのだが、
「それがそのように機能すると、
ぱっと見の見た目や触った感じで、
説明しなくてもわかること」
というような意味だ。
アフォーダンスがある、ない、
などという。
あるものは、その形で機能が推測できるし、
ないものは、その形から中身がわからないものだ。
人を殺す武器は、命を刈り取る形をしているべきだ。
十徳ナイフは、たくさん道具が集まって、
便利そうな形をしているべきだ。
そして、
ローソンの食べ物は、美味しく食べられそうな形をしているべきだ。
すでに撤回された、
おしゃクソ無印良品的なパッケージデザイン
(パステルの色バックで統一、
料理は手書きイラストで真ん中に小さく日の丸に、
文字は英語でおしゃれに、
機能はなるべく最小にして、わかりにくくても見た目のミニマリズム優先)
は、
どのようなアフォーダンスを持っていたか?
ということだ。
それは、
ミニマリズム、最低限の栄養さえあればよい宇宙食のような感じ、
合理主義の行き着くところ、
食に執念や喜びや動物的快楽がなく、義務行為みたいな感じ、
(刑務所の食事のような)
食ではなくファッション優先、
しかもそれは記号的、
などのようなアフォーダンスだろう。
つまり、ざっくりいうと、
食を記号化したのである。
無印良品と似た思想だ。
無印良品はなぜ成功したのか?
ファッションブランドのひとつである無印良品は、
乱立するファッションに、
ミニマリズム、記号化を持ち込んだ、
ほぼ最初のブランドだ。
つまり、服を記号化することが新しかった。
生活スタイルをミニマリズムにし、
記号化することが、新しかった。
つまり、無印良品は思想である。
ファッションや生活スタイルを、
華美で盛り盛りにせず、
質素でミニマルに生きていこうという、
思想の提案である。
それがよいと思う人は無印を買い続けるし、
そう思わない人は一生買わない。
つまり、無印良品は思想である。
思想として無印良品は成功した。
思想は自由だ。どう考えてもよい。
同じ思想の人が集まっても転向してもよい。
ローソンのおしゃクソデザインは、
これを真似たミニマリズム思想だ。
思想は自由だ。
だから、その自由の権利を行使して、
みんなローソンを見限ったのだ。
服や生活スタイルと、食べ物は違う。
前者にミニマリズムを持ち込むことは、
過剰で盛り盛りな人生から一線を画すことだが、
後者にミニマリズムを持ち込むことは、
食の欲望を制限して、修行僧になることだ。
金持ちになり、ぶくぶく太った人たちならば、
そのような修行僧提案は受け入れられたかもしれない。
ダイエット食、食の記号化は提案として妥当だ。
だが、ローソンに通う普通の人々はそうではない。
僕はコンビニで買うすべてのものは、
間に合わせだと考える。
間に合わせに修行僧になる人は一人もいない。
デザインとは何か?
それがそのような形をしていることから、
そのような思想の提案である。
つまり、
ローソンのデザイナーは、
間に合わせに入ったコンビニに、
修行僧の食スタイルを提案したわけだ。
なんでやねん。
不況もここに極まれり、
バブルから豊かになった日本の食文化、
伝統的に食べ物に執着のある日本の食文化を全否定して、
修行僧にならなければならないのか?
その反発だ。
デザインとは提案である。
それは、そのような形をしている。
それを提案するための、ベストのかたちがデザインだ。
ローソンのデザイナーは、
修行僧提案にベストな形をデザインした。
ほぼ全員が反対しただけだ。
俺たちは、よくできたうまいものを、
たらふく、もしくはそこそこ食らいたい。
言葉にすればそういうことが、
食べ物のパッケージで行われた。
デザイナーは思想家であるべきだ。
オシャレデザインの真似をする人であるべきではない。
件のデザイナーが、ただの真似屋か、思想家かは分からないが、
そのデザインの意味する思想は、大衆にリジェクトされただけだ。
デザインは、その思想を表す形をしている。
そのデザインの思想を読み取り、
経営戦略とずれていることを感知できなかった担当者は、
首を切られてもしょうがない読解力だと思う。
原因は、ローソンのIQ、またはリテラシーの低さにある。
極論すれば、ローソンは我々に食の囚人を強制した。
それを提案したことも読み解けなかったし、
それが受けないことを理解できなかったのだ。
(セブンイレブンの商品が小さくなり続けていることが、
反発を招いていることくらい知ってるだろうに)
さて、脚本論に戻ろう。
あなたはあなたの思想を表す、ベストのデザインに作品を仕上げているか?
その仕上げられたデザインは、あなたの恥ずかしい思想までだだ漏れさせていないか?
どこまでを世に出して、どこまでは伏せておくか、
あなたは取捨選択しているか?
そのベストの形まで、煮詰めているだろうか?
2020年07月11日
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