2020年07月15日

冒頭のコツ

冒頭部は何回書いても難しい。
引き込みと伏線を両立させないといけないからだ。


冒頭部にあったことがラストで使われることで、
落ちになる。
ということは、冒頭部は落ちへの伏線である。
しかし、伏線だけの機能ではない。
落ちへの伏線だけだとしたら、実に退屈な冒頭部になるだろう。

冒頭部は、まず観客を引き込まなくてはならない。
起こった事件、それを経験する人物などに興味を持ち、
ストーリーに引き込まなくてはならない。

それらを同時にするのが冒頭部である。

それらの両立をしなければならない、
非常に難易度が高いテクニカルな部分が冒頭だ。

初心者はなんとなくの思い付きで冒頭部を書いてしまう。
「イメージが湧いたから」というのがたいていの理由だ。
それはあなたの都合でしかなく、
観客にとってはそうではない。

そのイメージが、ストーリー全体にとって、
落ちへの伏線(予測されてはいけないし、忘れられても意味がないので、
強烈かつあとで使われることはないだろうという第一印象が必要条件だろう)
と、
ストーリー内部への引き込みとして、
妥当な理由はない。

それが要件を満たしているかどうかは、
ベテランほど入念にチェックする。
そんなにうまいこと行かないことを、
毎度毎度失敗して知っているからである。

で、本題。
そうしなければならないと構えてしまっては、
面白い冒頭など書けるはずもない。
ひとつのコツがあると思う。

それは、まず面白くて引き付ける冒頭部を組むことだ。
それは才能の部分が大きいから、
思いついたイメージなどを利用したほうが速いだろう。
問題は、落ちへの伏線をどう仕込むかだ。

コツとして言えるのは、
「冒頭部の全シーンが伏線になるわけではない」ということだ。
逆にいうと、
「一つのシーンだけを伏線にすればよい」
ということなのだ。
冒頭部はとても面白く描いておいて、
ひとつだけ落ちに使う伏線を混ぜておけば、
実のところ良き冒頭部になるのである。

これはあくまで経験則だ。
しかし、むずかしい冒頭部を書くときの、
指針として考えておくといいかもしれない。

面白げな事件に興味をひかせること。
主人公が誰か、よくわかること。
そこに巻き込まれた主人公が、そこから脱するさまを見たいと思わせること。
その主人公がどういう奴なのか、よくわかること。
できれば、その内面に感情移入する為の萌芽があること。
そして、これまでのどれかの中に、
落ちに関係する伏線がひとつだけあること。

こういうバランスで冒頭部を考えておくと、
あとで使いやすい冒頭部になるに違いない。


頭でっかちに、「あとで使う伏線」ばかりを張り巡らせると、
あとで面白いかもしれないが、
冒頭がつまらないものになりがちだ。
また、リテラシーが高い人には、それはすべて伏線で、あとでこう使われるのだろうと、
予測されてしまうことにもなりかねない。

伏線の極意は、伏線と悟られないことである。
ちょっとした謎場面やにおわせではなく、
(それはストーリー進行にはかかわりがなく、
伏線としてだけの機能しかないため、
冒頭のストーリーが進まないことに注意)
堂々とした印象的なエピソードとして披露し、
それがまったく違う文脈で使われるようにするのが、
上手な伏線というものである。

そうしたものを、
たった一つだけ仕込みつつ、
どんどん引き込まれていくのが、
優れた冒頭部というものだ。


冒頭部は難しい。
何度書いても難しい。
何度も何度も、
異なるストーリーの異なる冒頭部を書いては、
もっと良い入り方があったのではないかと、
後悔するほど、
沢山の冒頭部を書こう。
それは、落ちまで書いたうえで、
反省として冒頭部を書き直してもよい。

とにかく、冒頭部のやり方は沢山ある。
色んな名作の冒頭部だけを取り出して研究するのも、
勉強になるよ。
posted by おおおかとしひこ at 02:07| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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