面白いストーリーとは何だろう。
色々な捉え方があると思う。
僕は、「楽しい」は、「面白い」ではないと、
分離したほうがいいと思った。
世の中にはいろんなストーリーの形があり、
それ自体は自由だ。
しかしどうもその中で、
本来のストーリーの形から外れ、
「楽しい」だけを追求したパターンのものが増えてきたように思う。
それは、それで売れるがゆえに、
「面白い」と混同されているのでは、
と僕は考えるようになった。
たとえば。
ドラマ/舞台版の「風魔の小次郎」のバックステージ映像。
「男子校ノリでわちゃわちゃしてるのがおもしろい」
などとよく言われる。女子がとりこになっているのを今でも見かける。
しかしそれは「男子ノリの楽しさ」だと僕は思う。
あの現場は、バックステージだろうがカメラの周りだろうが、
スタッフだろうがキャストだろうが、
カメラマンだろうが照明部だろうが衣装部だろうが美術部だろうが、
関係なく全部が男子校ノリだった。
ていうか、僕が周りの現場はいつもそうだ。
だから僕は一生の仕事としたいと思ったのだ。
バックステージ映像との違いは、「全員イケメンか否か」かもだ。
不細工で中年ぶとりのオッさん二人、
俺と市野さんがキャッキャやってるのを楽しめるのは、
相当なマニアだけかもしれない。
その意味で風魔バックステージは、
イケメンだらけの男子校というファンタジー商品である。
で、確かに見てる人の気分は上がるから、
「おもしろい」という言葉にしてしまう。
これは違うと思う。「楽しい」に限るべきだ。
逆に、「面白い」バックステージとはどういうものか?
「どのようにして、この物語は作り上げられたのか?」
に答える、「彼らはどう解釈し、どのように表現を詰めたのか」
というメイキングだと思う。
脚本サイドからのそれは、僕の監督メモに詳しい。
それを、カメラマン、照明、美術、衣装、音楽、
そしてキャストなど、あらゆる面から掘り起こしたものが、
真のメイキングだと思う。
しかしそれはまとめることが非常に困難だし、
身入りが少ない(車田論やドラマ論の研究者、
そのファンにしか意味がない)ため、
単純に需要が少ない。コスパが悪いというか。
ということで、「イケメンたちが楽しくやっている」
ものが作られ、流通することになるわけだ。
作り込んだコントよりも、
その場が面白いというだけで変顔をするのと、
僕は同じだと思う。
起承転結の面白さが本来の「面白さ」だとして、
変顔はそれとは関係のない「楽しさ」だと。
「面白い」には様々な事象が重なっていて、
それは結果としての感情のことを示している。
だからその成分を分けるべきだと考える。
猫動画、エロ動画は、楽しさであり面白さではない。
アクションシーンやキャラのデザインもだ。
音楽は、ストーリーを増幅するなら面白さの一部だが、
パーリーミュージックやダンスナンバーは、
楽しさに属すると思う。
「面白かったー!」という感想は、
「楽しかったー!」と、
「面白かった」が混じった感想だということだ。
楽しいかどうかは、実装のガワで決まる。
面白いかどうかは、中身のストーリーで決まる。
楽しいだけでペラペラの意味しかないストーリーはくそで、
楽しくないが中身の詰まったストーリーは拷問か課題に過ぎない。
セリフの言葉の良さやテンポの良さは、
楽しさに属すると思う。
脚本は、なにも中身だけを書くものではない。
楽しさのガワを纏いながら中身を書くことも出来る。
色々なことを意識しながら、
自分の中で腑分けしておかないと、
他人の分析に使う言葉で誤解が起こることもある。
「この人は『面白い』と言っているが、
本当は『楽しい』と言いたいだけなのだな」
などと分かれば、
自分がどうすればいいか分かるのが早くなるだろう。
2020年07月17日
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