2020年07月17日

【薙刀式】qwertyは「日本語が濁る」らしい

という趣旨のシフターのツイートをみかけた。

その感覚はわかる。
ローマ字入力方式だと、
カナ入力方式に比べて、
目的とオペレーションが一対一対応ではなく、ずれが大きい。
直感的にいうと、「濁った出力」になるわけだ。


僕はもう少し大きな視野で見ていて、
「じゃあ濁ってないタイピングは可能か?」
「濁ってない文章を初手で書けるか?」
などと考えてしまう。

僕の最も濁ってない文章は、手書きによるものだが、
純度100かというと、
プロになってからは何回も何十回も書き直して磨いていくことを身につけたので、
初手に書いた文章は60ぐらいだと思っている。

薙刀式は50くらいか。
qwertyローマ字だと10くらいになるかな。

相対的に濁っているとは思うけれど、
カナ入力だからといって100になるわけではない。


親指シフト(正式名ニコラ配列)が、
絶対的に有効な手段ではないのは、
これまで色んな議論を繰り返してきたので繰り返さない。
最近はむしろ出来の悪いカナ配列だと僕は考えている。
もっとええもんいっぱいあるがなと。

それでも、最適でないものがある人にズバリとハマることは良くあるので、
好みに関しては否定しない。
客観的効率面で親指シフトは下の方だというだけだ。
(qwerty、JISカナはさらにそのだいぶ下)


目的は、濁ってない文章を書くこと。

それだけは皆一致していることだろう。

僕は最終的にはカナ入力方式でも物足りなくて、
漢字変換の必要ない漢直をやってみたい。
なぜなら手書きは漢直だからだ。

ライブ変換が共通の人の辞書ではなく、
僕の文章の癖、あるいは文体の使い分けまで付き合ってくれればライブ変換でも悪くないが、
パーソナライズは原理的に難しいだろうな。


ついでにいうと、
僕は自分の意識を100%の純度で表現できない、
という立場にもいる。

結局は85くらいでリリースせざるを得ないし、
そもそも他の人も60くらいで出力している。
(言葉の額面通りの意識でなかったりする)

つまり、言葉は意志や思考と一対一対応しない、
常に揺れた存在だ、というのが僕の立場だ。

だから質を上げることにはそんなに意味がなくて、
意味が通ることを沢山やったほうがいい、
というのが僕の立場だ。

どうせ誤解は常にある。
ぼくはそれ前提でものを書くし、
人の書いたものもそうやって見ている。


その前提ならば、
楽にたくさん書けるタイピングがいい。
薙刀式、新下駄、飛鳥はその候補だと思う。

新JISは楽だけど量は難しいだろう。
蜂蜜小梅は楽なのは分かるが、量は作者自身は保証していない。
TRONはどうなのかイマイチ不明。
右小指の「ん」が量を制限するのではと想像する。

ほかに沢山のカナ配列、ローマ字配列などがあるが、
みんなそれについてあまり語らないので、
(使用者の絶対数が少ないのはわかっているが)
情報の交錯が起こってない感じがする。

あれのあれはああらしい、
これのこれはこうやってみたらこうだった、
なんて話は、ゴロゴロ転がっていて欲しいのだが、
検索の仕方が悪いのか、絶対数が少ないのか、
あんまり出てこないんだよね。
#自作キーボードだったら毎日沢山出てくるんだけどね。


逆にqwertyで、濁ってない文章を書ける人は、
qwertyを始めた人全体の中では、
かなり少ないと予想される。
それはやはり優秀な配列ではないと思う。


僕の目的は(なるべく)濁ってない文章を書くことだ。
タイピングゲームではない。
そういう観点からの議論がほとんどないので残念だ。
posted by おおおかとしひこ at 10:02| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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