2020年07月18日

敵と主人公の意見の相同

敵は敵対する。主人公と反対だ。
何もかも反対の、鏡の世界の人間だ。

そうだろうか?

「同じところ」もあるのでは?


たとえば。

「同じ、東京都民」かも知れない。
「同郷出身者」かも知れない。
「同じ、男」かも知れない。
「同じ、人の親」かも知れない。
「同じ、いじめられっ子だった」かも知れない。
「同じ、元警察官」はハリウッドによくある。
「同じ、超能力者」もよくある。

主人公と敵を、
全て反対にする必要はない。

むしろ、
「同じところを沢山持っている」方が、
人間と人間を描く上で深くなる。


これはラブストーリーでも同じだ。
同じところに惹かれて、
違うところに魅力を感じるのだ。

敵の場合は、
違うところが許せなくて、
同じところは複雑な思いになるわけだ。

つまり簡単に、恋の相手は敵になり得るし、
敵に恋することもあるわけだ。
昨日の敵は今日の友、なんてことはわりとよくある。

最初にどう出会うのかで、
敵が味方が決まったりする。
途中でターニングポイントがあり、
見方が変わり、立場が変わることもある。


敵は敵、理解できない、
恐るべき、憎むべき、殺したい人、
というのでは、あまりにも考えが浅いではないか。
(いまちょっとBLMがそうなってるが)

そうではなく、
複雑な思いを抱かせたり、
味方かと思わせておいて、
一気に敵に振り切るような許せないエピソードなどを披露すると、
物語がうねって面白いではないか。


敵は敵と考えるのは、
IQの低い人のものの見方だ。
料理で言えば、甘い、辛い、苦い、
とひとつの味しかしない感じだ。

「彼は我々と同じ人間で、
同情や共感の余地は大きい。
しかしただ一点、このことに関しては断罪したい」
のほうが、複雑な味になって面白いよ。

そして、複雑な味の料理の中に、
たったひとつだけ強い味がコントラストで置かれているのが、
理想ではないかと思うのだ。



そのためには、
主人公と敵を表に書いてみよう。
共通点は何か?
異なる点は何か?
互いに共通点には共感するが、
異なる点には互いに理解し合えないはずだ。

「同じ関西人やと思ってたら、
あいつ納豆食うんやって。
許されへんよな」
なんてことが、生涯の敵の誕生だったりするんだぜ。
posted by おおおかとしひこ at 07:15| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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