これさえはっきりわかれば、
リライトなど簡単である。
これが分からないから、リライトは迷路にはまる。
リライトの難しいところは、
「今あるそこに違和感がある」
という感覚を頼りにして、
表面的な直しばかりに終始して、
疲弊してしまうことである。
部分に囚われて、全体が崩れていくのである。
これは、
「鼻が気になるからちょこっと整形」
「そしたら目元が気になるからちょっと整形」
「そしたら顎が気になり…」
などを繰り返して、化物が出来上がる過程によく似ている。
もうひとつありがちなのは、
「できているところはそのままにしておいて、
弱点だけを改修できないか」
と考える弱い心理だ。
整形の例え話でいえば、
「なるべくプチ整形で済ませたい」
と考える心理に近い。
100万の整形、また100万の整形…
を繰り返して、何千万もかけて化物が出来上がるくらいなら、
1億と十分な時間をかけて、
土台ごと計画して工事したほうがよほど良い。
この、「最小のコストをかけて」
を繰り返す貧乏性で幸せになった人をぼくは知らない。
今で言えばGoToキャンペーンがそうだろうか。
随分前から決まっていただろうものを、
小手先だけで処理して、
大局的に大敗していると僕は思う。
さて、
ではどうすれば大局的な、正しい直しが出来るのだろう?
僕は、
「結局は何が書けているのか」
を書き出すところからやるべきだと思う。
それが間違っているなら、そこから修正だ。
そこは間違ってないならば、
「そのことを書くために、ベストの構成か」
をチェックすれば良い。
「すべての要素が、念入りに結論にたどり着くための、
よく練られた、必要十分な完璧なものになっているか」
をチェックすれば良い。
しかし大抵の場合、
「結局は何が書けているのか」
が物足りないのではないか?
というのが本題である。
それはテーマだろうし、
テーマに至る道筋だろうし、
テーマを語るための前提や前振りかも知れない。
その、
「結局は何が書けていたのか」
を正しく認識できない限り、
どう直すかなんて、すべて失敗した化物整形なのだ。
だから、
「ではどういうものが理想なのか」を書き出すのである。
ここまでは書けている。
理想はこうである。
現状とゴールを正しく設定するのだ。
あとは、その具体的手段を捻り出せばいい。
前提の設定を変えるのか。
伏線を変更するのか。
問題を変更するのか。
主人公の不足部分を改変するのか。
事件との出会い方を変えるのか。
陥るシチュエーションを変えるのか。
時系列を変えるのか。
フレーミングを変えるのか。
第一ターニングポイントを変えるのか。
仲間の登場や敵の順番を変えるのか。
エピソードを追加するのか。
エピソードを削るのか。
台詞を変えるのか。
今どう思ったかを変更するのか。
どうするつもりかを変更するのか。
ミッドポイントを変えるのか。
世界設定を変えるのか。
危険の度合いを変えるのか。
クライマックスを変えるのか。
何を争うかを変更するのか。
具体的なルートを変更するのか。
人物の出入りを変更するのか。
ラストシーンを変更するのか。
テーマを変更するのか。
色んな具体的手段があるが、
ゴールが見えているならば、
適切な手段を組み合わせられる。
問題は、現状認識と理想のゴールと、具体的手段がなく、
見た目の近視眼で「きになるところ」を直し続けることだろう。
「今これがいいから捨てたくない」もやめよう。
全体を良くするために、
ここがいまいちでも最終的には良くなる。
「ある複雑なものを良くしていく方法」は、
システム論として数学的に研究されている。
場当たり的な探索で、
少しずつ良くしていく方法では、
簡単に袋小路に陥り、
最大効果のゴールにたどり着きにくいことが知られている。
(局所最適問題)
最近はカナ配列を弄っているけど、
これも局所最適という袋小路で満足せず、
そうでないグローバル視点での解にたどり着くのが、
非常に困難な問題のひとつだ。
(AIによる計算でも、容易に袋小路で「最適化した!」
と勘違いすることが知られているよ)
こうした理系の学問を知らないと、
「部分的改善はいつか最高の状態に至る」
という無邪気な考えで終わってしまう。
「経路積分は全体積分を最適化しない」などとシステム論ではよく言う。
1円2円やポイントカードを争う主婦が、
旅行やホストに百万単位で散財することによく似ている。
要するに、
部分でなく全体が問題だと言うことだ。
三週間寝かせて客観的になったあと、
最初にすることはつねに、
全体がよくなるにはどうすればいいか、
引いて見ることである。
部分の気になるところは、
全体が気にならなくなってから着手すればよく、
全体が完璧なら部分に傷があっても、僕は良いと思う。
我々は神ではない。
部分も全体も完璧は作れない立場に立てば、
全体を良くしたほうがいいに決まってるのだ。
2020年07月19日
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