人は考えるときにどういう動作をするか?
指でトントンとどこか(机や頭)を叩くのはよくやることだ。
歩いたり風呂入るとアイデアが出やすいこともよく知られている。
独り言を発しないにしても、舌で言葉を出す真似をすると、
考えが言葉に纏まりやすいこともよく知られている。
ついでに独り言をレコーダーにまとめる作家も沢山いる。
「手を動かして考えろ」は現場で継がれてきた原則で、
ぼーっとしてるくらいなら紙にアイデアを書けとか、
思ってる立体をCADじゃなく粘土で作ってみろとか、
とりあえずデッサンだけしてみろとか、
見取り図だけ書いてみろとかは、
ポピュラーなやり方だ。
手や身体を動かすと、ぼんやりしたものが輪郭を持ちやすい。
その輪郭が次の考えの土台になり、
次の考えの輪郭を形成しやすくなる。
つまり、考えが進む。
「考える仕事」をしたことのない人は、
椅子にずっと座って「閃いた!」となるような、
不動の人をイメージするのかもしれないけど、
実際に考える仕事をする人は、
かなり身体を動かす。
椅子に座って腕組みしてる状態は、
「考えが出なくて困っているとき」だと思うよ。
将棋をやるときでも、
「ああ来たらこうして、こう来たらこうして…」
のシミュレーションをやるとき、
指を動かして考えることが僕は多い。
手と考えは、連動している。
算盤マスターは完全に頭の中の算盤を動かすのではなく、
やっぱり手で弾く真似をすることが多い。
手と頭は、連動している。
で、本題。
最近歩きながら考えるとき、
手が薙刀式の動きをすることがあるのに、気づいた。
片手で荷物持ってる時はできなくて、
リュックを背負って両手が空いてるときにやりがちだ、
というところまでは把握した。
出てきた言葉を手が打鍵しているのか、
手の打鍵が言葉を生み出しているのかはわからない。
その相互作用が「考える」ということかも知れないけど。
少なくとも僕は、
考える道具として、薙刀式を利用している。
考えるときにフリックの動作をしたことはない。
つまり、薙刀式のほうがより深く思考に入り込んでいるらしい。
他の配列を使う人もこういう現象はあるのだろうか?
ついつい空で考えるときに、手が親指シフトを打ち…
なんて話は聞いたことがない。
薙刀式が特別考える道具に向いているのか?
他の配列もそうなのか?
脳内発声がない人が考えるとき、
脳内発声の代りに言語化するために、身体動作を利用するのか?
俺だけの変態現象か?
そのへんはわからない。
調べようにもどういうワードで調べれば良いのかわからず、
とりあえず記録しておく。
2020年07月18日
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