「ブラインドタッチは手元を見なくて、
画面だけに集中できるから速い」
という理屈の、さらにその先。
「指先だけで確信していたら、
画面など見ていては遅い」
という話。
最近、画面をほとんど見ていない。
見るときは漢字変換が危ういだろうな、
チェックしなくては、というときだけだ。
じゃあその時なにを見ているのかを考えると、
目線は画面だけど、見ていない感じなのだ。
「考える時どこを見ているか?」
という問いと同じだ。
目線はどこかを向いてるかも知れないが、
視神経はオフにしている感覚。
で、漢字変換が危うそうなときだけ、
目の電源をオンにする感じだ。
手書きのときはどうだろう。
似ていると思う。
目は字を見てるかというとそうじゃなくて、
「考え」を見ている気がする。
あとは字形が整ってるかとか、
この漢字であってたっけ、
というようなときしか目を使わない。
つまり、「画面を注視しながら書く」
という先入観は、
「書く」ということに対して理解が足りてないと思うわけだ。
つまり、
「書く」ということは、
「指先と思考を繋げること」
だと言ってもいいかもしれない。
あとはそれがちゃんとなってるかチェックするときだけ、
目を使うくらい。
これは、
「ミスタイプはどこで気づくか?」
と関係していると思う。
僕は指で気づく。
目で気づくことは最近減ってきた。
「ああ、間違って打ってしまった」と、
指の感覚でわかる。
「思ったことと打たれたことが違う」と、
目で気づいてたら遅いと思う。
接近戦を得意とする太極拳や詠春拳では、
目隠しをしたまま組手をする練習法がある。
目隠ししてハイファイト!ではなく、
目隠しして、相手と両手を接触した状態からはじめる組手だ。
慣れたら、相手の体勢の変化で、
殴ろうとする意思やその軌道までわかるらしいので、
それを「受ける」のではなく、
「未発にする」ために体勢を崩す練習をするらしい。
これは柔道でも同じで、
組んだとき相手の動きを組み手から察知して、
体勢の取り合いをする。
目で判断するのではなく、触覚で感じとるほうが速いらしい。
僕はほとんど経験がないが、寝技になるとよりそうなるだろう。
つまり、武術の世界では、
目は触覚より遅いと考えている。
僕は期せずして、目視の遅さに、
別方面からたどり着いた感じだ。
速いときは秒5〜10カナで打つ。
人間の目の反射神経は、ゲームなどにおいて、
集中して0.1〜0.2秒と言われる。
しかしそれを毎文字に発揮してたら疲れる。
それより触覚の方が、疲れずに持続性があるのかもしれない。
僕がブラインドタッチの名称をわざと使っているのは、
この感覚を言いたいからかもしれない。
「広義のブラインドタッチ」とでもいうべきか。
書くことは考えることだ。
見ることではないと、僕は思うのだ。
だから、創作打鍵とコピー打鍵は、
全然成り立ちが違うと思う。
僕は書く時に、ほとんど目を使っていない。
2020年07月21日
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