2020年07月22日

新しい危機を発明せよ

ガワにおいても、中身においてもだ。


ガワにおける危機とは、
「今この崖を飛び越えなくてはならない」である。

たとえば、
「宇宙人の侵略」は、
宇宙人という概念がある前にはなかった、
発明された当時は新しい危機であった。

実際には「他民族からの侵略」のアナロジーで考えられたのだろうが、
そこで起こったことは、
「かつての敵との団結」という新しい展開であろう。

サイヤ人の襲来には、ピッコロと共闘するわけだ。
逆に、ピッコロと共闘するために、
「宇宙人の侵略」というのは、
一種の危機の発明であったわけだ。


大きな例でなくても、小さい危機は発明され続けている。

ケータイが出来る前にはなかった、
「電波が途切れる」
「バッテリーがない」
「スマホに頼りすぎていて、
地図も電話帳もそこに入ってるので、
失くしたら何もできない」
「指紋認証や顔認証を突破するスパイ」
は、
新しい危機である。

あるいは、
「スポンサーに配慮して、
Twitterで通り一遍しか言わない言葉」
というのも、新しい危機だろう。

言論の自由が、炎上という刃物に負けている。

「裏アカ留出」も新しい危機だ。

大体、新しい危機は、
「新しい常識」に起きることが多い。

テクノロジーが発展するにつれて、
今後自動運転やキャッシュレスで、
何か新しい危機が発見されるだろう。

「怪談は、新しい生活習慣に起こりやすい」
という考え方がある。
口裂け女は、「塾帰り」という新しい生活習慣で広まった怪談だし、
「引っ越した家」にまつわる怪談は数多い。
それだけ人は、新しい習慣にはストレスと恐怖を感じるのだろう。

コロナの新生活様式にも、怪談はあるかもね。

「アルコール除菌には○○が混ぜられていて…」
なんかは既にありそうだね。


ガワの危機とは、
すなわちビジュアルの新表現を探ることだ。

新しい危機を考える時、ビジュアルから入るのは、
発想としてあり得る。

これは、何かと何かを組み合わせることでも可能で、
カイジの「鉄骨渡り」は、そうした作例のひとつだろう。
「カイジ」は、大体新しい危機を、ビッグビジュアルで持ってくるのが得意で、
発想の分解にはもってこいだ。


「日常微妙にムカついている小さなこと」
を持ってくるのも良い。
「あそこからあそこまで、大概信号が繋がらない」
のはよくあるムカつきだけど、
「繋がらないと死ぬ」危機を作ったり、
「たまたま繋がったことで死んだ」
などを作ることで、事を大きく出来たりする。

観察力や組み合わせ力次第で、
これはいくらでも考えられるだろう。

「ちょっと危機がつまんねえな、
別のを考えるか」などと交換もたやすいと思う。



一方、「中身の危機」を新しく考えることは難しい。

基本的には死に繋がることはすべて危機である。
仕事を失う、
社会的信用を失う、
寝れない、
食えない、
怪我や病気、
振られる、
自信を失う、
味方を失う、
などなどだ。

これらは、昔から変わらないものだろう。

でも最近の「炎上によって信用を失う」
というのは、
ガワも中身も新しい危機かもしれない。
ネットがない時代は、
こんなに敏速に広まることはなかったし、
人の噂も75日で飽きられていたはずだ。
(この、いつまでも残って消えないことが、
人類の進歩を遅くしているのではないかと僕は考えているが、
ここでは深入りしない)

ここにもし、新しい危機の発明があれば、
僕は名作の可能性があると考えている。

出来ればガワも新しくなるのが理想で、
「そんな危機を乗り越えなきゃいけないの?」
という驚きと興味があるのが、
いいと思う。

新しいガワの危機で興味や関心をもち、
「実はこのような中身の危機の話だったのか」
と深い感動が訪れるのが、
理想ではないかと考えている。


それは、いったいどのようなもので書かれるべきか、
表をつくるとよい。

ガワの危機: ○○○○
中身の危機: ○○○○
という形式で書かれるだろう。
その組み合わせが新しいだけでも発明かもしれない。


他の名作はどうしているか、
自分のストーリーはどうか、
何が新しいか、
吟味することで、
発見があると思う。
posted by おおおかとしひこ at 00:52| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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