2020年07月25日

デジタルは人を幸せにしない:出会った文字を練習すること

手書きしかなかったころ、
出会った知らなかった漢字を、手書きで練習していたよね。
最近、それをほとんどしていなくない?


これはこういう字を書くのか、書けるように練習しておこう、
他にこういう言葉にも使われているから、
それも書けるようにしておこう。

そうやって、自分の中は豊かになっていった。
知っている言葉がどんどん増えて、
あることとあることの間の言葉がどんどん増えて、
微妙なニュアンスを表現できるようになっていった。


今もそうだろうか。
デジタルネイティブの人は、
新しく知った漢字を、そのへんの紙に練習して、
自分を豊かにする練習をしているだろうか。
たぶんしていないのではないかな。

言葉が外部記憶になりつつある。
変換を使わないと、何も書けない人になっている。


口でいうとき、漢字を発音するのか、
ひらがなを発音するのかは、
IQによってだいぶ違いそうだ。
「ひらがなではこういうが、漢字ではこうなのか」
を知ることは、言葉を豊かにすることだ。

僕は頭の中で漢字で出てくるので、
それを発音するならば、そう口に出す、
という方式で生きているので、
概念はすべて漢字変換済みで収録されている。

そうじゃないと、手書きでずっと書いていけないよね。


カナ配列薙刀式で、「奇跡的」という言葉を初めて打った。
WAWEWというわりと打ちづらい運指だったので、
何度か練習して、スムーズに打てるようになった。
で、気づいた。
最近こんなことしてないなと。


ある言葉を知るとき、
読めるようにしているだけのような気がする。
自分の中に新しい言葉を入れていない気がする。

言葉を外部に頼るようになったら、
人間は何もないときに何もできない生き物になる。
つまりバカになる。


デジタルは人を幸せにしているか?

学ぼうとする人の役には立っているが、
バカをよりバカにすることにも役に立っている。
ツイッターがバカ発見器と言われるように、
言葉を書くときに、
その人がバカかどうかをあぶりだせるかもしれない。

単純に言うと、
上を目指さなくなったとき、
人はバカになると思う。
posted by おおおかとしひこ at 22:49| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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