2020年07月23日

「冒頭は落ちの伏線である」の例

何も物語に限らない。
こういう文でも構造は同じだ。


Twitterで見かけた、
『藤井猛全局集 竜王獲得まで 愛蔵版』の前書き。
藤井聡太じゃない藤井さんの、将棋全局集。

棋士にとっての全局集は、
作家にとっての全集と同じ気持ちだろうなあ。
人生の全てみたいな心持ちだろう。

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冒頭が落ちの伏線になっていること。

落ちを短い一文で切って落とすために、それがあること。

これが名文というものだ。


第一文の、「起こされて」と「目が覚めた」の係結びがちょっと変とか、
細かいことはどうでもいい。
ラストの一文に込めた想いを、
どこから遠投するかなのだ。

これは、形式は異なれど、物語の基本である。
posted by おおおかとしひこ at 20:19| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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