2020年07月28日

すごいとは何か

頻度や量が甚だしいこと。
それ以外は何?
「すごい映画」ってなんだ?


すごい良かったということだ。
すごい感動したということだ。
それは、深いということだ。
薄くてぺらっぺらの映画はすごくはない。

すごい映画を作りたいのはやまやまだけど、
量や頻度がすごい映画をつくってもしょうがない。

すごい火薬の量のアクション映画や、
すごいカワイイ子が出ている恋愛映画や、
5分に1回のアクションがある映画や、
なんとかグループ総出演の映画や、
めったにカメラが入れないところで撮影された映画は、
なにもすごくはない。
量や頻度がすごいだけだ。

それは、ガワのすごさだと言えよう。

じゃあ中身のすごさってなんだろう。
量や頻度ではないだろう。
伏線の数を数えてもしょうがない。
移動距離や場面転換の数を数えてもしょうがない。
サブプロットの本数を数えてもしょうがない。
量や頻度がすごいことと、
中身がすごいことは関係ない。

中身がすごいということは、
深いということに近いと僕は思う。

それはそれそのものが深いのではなく、
「自分の深いところに届く」
ということだと思う。

人は、外に見せている自分と、
ほんとうの自分は違う。
その、ほんとうの自分の深いところに届くのが、
すごい中身だと思う。

世の中が間違っていると思っているが、
外には言わないこととか、
誰にも言わず、ずっと隠していたこととか、
遥か昔の忘れていた思いとか。
そういうところに共鳴するようなものが、
深いというのだと思う。

どういう隠した自分があるか。
それは自分に向き合うことでしかわからない。
外面で「いい」とか言っている要素はどうでもいいと思う。
もっと自分の奥底と関係したものをつくりたまえ。
それが他の人にまったく理解されないのだとしたら、
それをわかりやすく他人の何に例えられるか、
探せばよい。

そうすることで、テーマやメインモチーフが、
具体的になってくると思う。

すごい映画は、
自分の深いところに届く映画だ。

そう考えれば、
じゃあそれは何かを考えやすい。
ただ「すごい映画をつくろう」と思ったら、
量や頻度だけを考えがちだ。
それは脚本でやるべきことではない。
posted by おおおかとしひこ at 00:27| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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