2020年07月26日

構成上の背骨の足りなさ(「ジョジョラビット」評)

子役はかわいい。アートディレクションはしゃれてる。
靴紐の使い方も凄く良い。
キャプテンKは最高だ。

あとは構成の骨の弱さだなあ。
以下ネタバレで。


脚本構成上の、
この映画のターニングポイントは、

第一ターニングポイント:
エルサと出会ったこと

第二ターニングポイント:
エルサが死んだ姉を名乗ったこと

である。

たしかにストーリー上は「大事件」で、
それ以前とそれ以降が全く異なる焦点に移り、
世界がまるで異なっていく、
という点では、
ストーリーの節目になるターニングポイントではある。

彼女と出会う前、
彼女との交流、
彼女が連れて行かれないか

の三部作の境目になっていることは確かだ。

だけど、
それだけでは、
一幕/二幕/三幕を区切る、
第一ターニングポイント、第二ターニングポイントとしては、
弱いのである。


さて、ではこのストーリーのセンタークエスチョンを問うてみよう。
何?

ないんだよね。

「ジョジョは彼女をモノに出来るか?」ではないし、
「ジョジョは一人前になれるか?」でもないし、
「妄想のヒトラーは消えるか?」でもないし、
「戦争はおわるか?」でもない。

いくつもの、こうしたサブプロットの重ね合わせにはなっているものの、
それがストーリーのセンタークエスチョンにはなっていない。

「その問いにイエスと答えたら、
この物語全体はおしまい」
というものを、
観客が自覚できないで進行していく。

それが現実の戦争の先の見えなさである、
とよく解釈することもできるけど、
何に注目して見ればいいか、曖昧だ、
という批判を免れ得ない。


「これは、ジョジョが一人前の男になる話である」
という風にもなっていないので、
それが骨というわけではない。

つまり、
このストーリーは、
骨を決めることから逃げたのだと僕は思った。


壁に匿われたユダヤ人エルサという設定は抜群に良い。
姉の幽霊話との絡みをもう少し利用したかった。
母親のキャラクター、靴紐のこと、そして死もかなりよい。
炭を塗り、父親の真似をしたあの夜は忘れられない。

そして、「脱出成功」というあっさりさもとてもいいし、
自分を大きく見せようと「ドイツが勝った」と嘘をつくのもとても良い。


つまり、ディテールは抜群に良いのに、
全体を「何が」貫いているのか、
その骨がないのだ。

もちろん、ナチスへの批評が目的ではない。
ナチスは単なる逆境で、嵐とか狼と同じだ。
ストーリーを前に進める小道具でしかない。

その限定された状況下での、
小さなラブストーリーである、
というところまで落ち切っていなかったのが、
骨がやわやわだなあと思ったところだ。


小さな恋のメロディという名作はある。
限定状況下での小さなラブストーリーを骨にして、
色んなことを内臓にすれば、
とてもチャーミングな名作になり得たのに。

実に惜しい。

キャラクターやエピソードなどの、
ガワがとても良いのに、
中身、つまりテーマやプロットや、
全体を通した構成が、煮詰め切れていない、
微妙作であった。


この映画を見た満足感は、
あくまでキャラクターやディテールにすぎず、
これを通じて獲得する意味ではない。

それが、第一ターニングポイント、
第二ターニングポイントに、
端的に現れている。


じゃあどうすればいいのか、を考えるに、
「じゃあこれを通じて言いたいことは何か」
という根本的な所に降りないといけないので、
それは作者が決めてくれ、
などと思ってしまう。


つくづく、構成というのは難しい。
この、構成に関する失敗作を見て、
勉強してほしい。


たとえば、「ライフイズビューティフル」との違いはなにか?
これにはテーマがしっかりと貫かれていた。
「絶望的な状況でも、それを軽々と乗り越える希望を持とう」
ということだ。「それが嘘であっても、希望である」
ということだ。

その、覚悟の差が、出たのではないかなあ。
posted by おおおかとしひこ at 14:07| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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