2020年07月30日

イコンは何の象徴か

「AでBを表現する」
となったときに、Aをそのストーリーのイコンという。


正確には、
平凡な象徴はイコンにならない。
他と違うもの、
他と違う使い方をしたもの、
独特のストーリーの、中心の象徴になっていないと、
ストーリーのイコンにならない。

そのストーリーはそのイコンを思い浮かべることで、
理解できるものに昇華している必要がある。
もちろんそれは見る前にはまだよくわかっていないものであり、
見終えたら、なるほどこれしかない、
という具体物のことである。

たとえば、
「ジョーズ」では巨大鮫は映画そのもののイコンではあるが、
ストーリーのイコンにはなっていないと思う。
まあ、ただの怪物退治であるという単純なストーリだとするならば、
まあイコンになっていてもいいかレベル。

もしあのストーリーが、
「理解されなくて追いやられた男たちの復活の物語」
などになっていたとしたら、
鮫に突き立てられる銛が、イコンになったかもしれないね。
(実際には、〇〇で倒されるのだが)
もしあれがそういう物語なのだとしたら、
鮫は困難の象徴であり、
銛は事態を切り開くことの象徴になるから、
「鮫に突き立てられた銛」は、
ストーリーを一枚絵で象徴することになり、
しかも巨大鮫でそれらを象徴する話などないから、
それはストーリーのイコンになったはずだ。

「ロッキー」のイコンは、
試合後に「エイドリアン」と叫ぶロッキーだろうか。
これは結論、「男は何者かになれた」の象徴の絵であり、
だからこそロッキーは名作になれた。
ただし、絵として特別オリジナルな絵ではないから、
オリジナルな絵、
「フィラデルフィア美術館の階段を上り、
朝日に叫ぶ男」
のほうが、イコンとして使われがちだけどね。

つまり、もしストーリーのテーマが、
美術館の階段を昇り詰めることで象徴されていれば、
より完璧になったということだ。
(フィラデルフィアの階段で象徴されることは、
「がんばる」というトレーニング至上主義みたいなもので、
ロッキーのサブテーマに過ぎない)


あなたのストーリーのAは何か?
それはどんなBを象徴しているのか?

それはわかりやすい象徴か?
(見る前にネタバレしてもダメで、見たあとにこそわかりやすいもの)

それはオリジナルな象徴か?

まさかロッキーの脚本を書いているときには、
フィラデルフィア美術館がイコンになると思っていなかっただろう。
しかしかのロケ地がオリジナルなものだったからこそ、
それがイコンになりがちだったのだ。

つまり、あなたのストーリーの中のオリジナルな絵は何で、
それが何を象徴しているのか、
リストをつくったほうが早いかもしれない。

その絵がテーマをうまく象徴していないならば、
そうなるようにリライトするべきだ。
テーマを象徴している絵が平凡ならば、
もっとオリジナリティのある絵を考えるべきだ。


テーマを象徴する絵は、
たいてい、クライマックスの、事件解決の瞬間か、
ラストシーンに現れる。

それが、オリジナルな絵になっていなかったり、
象徴で語っていなかったりしたら、
そうなるようにしていくべきだ。



映画のイコンは、大きくは二種類ある。
「落ち込んだ新しいシチュエーション」(問題)か、
「テーマ」(解決)だ。

ジョーズやジュラシックパークは前者、
ロッキーは後者だ。

どちらにもなっていない映画は、
凡作である。

そして、後者がきちんと新しいイコンになっているとき、
歴史に刻まれる作品の候補になると思う。
posted by おおおかとしひこ at 03:40| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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