2020年07月26日

デジタルは人を幸せにしない: 衰退を加速した

デジタルで、便利になったような気がする。
それが間違いだったのかもしれない。


デジタルは人を便利にしたかもしれないが、
それは、
距離を縮めるとか、
時間を縮めるとか、
今あるものをより便利にするという、
「改良」をしただけのような気がする。

それは結局コストダウン競争にしかならなかった。

デジタル以前では、
「いくらかけてもいいから最高のものを」
という王者があって、
微妙に劣るが安いものがあって、
などのピラミッドがあった。
それらは競争し、最先端を競っていた。
「いくらかけてもいい」には、
成長のエネルギーがある。
大失敗も沢山あっただろうが、
成長が多点的に行われていた。

それがデジタルに置き換わる。
改良するべきことはコストダウンだ。

日本におけるデジタルの導入は、
「いくらかけてもいいから最高のものを」
には使われず、
「今あるものの代替品」
として使われた。

デジタル特有の何かを追求せず、
アナログをコストダウンすることに使われた。

映画や映像分野においては、少なくともそうだ。

デジタルカメラ、LED照明、
カラーグレーディング、
資料探し、プレビジュアライゼーション、
編集、特撮(CG)、音楽録音、ミキシング。
資料のアーカイブ化、
配信。

現場におけるデジタル機材の選択は、
コストダウンが目的で、
デジタル特有の何かを目指すことではない。
少なくとも日本においては。


「いくらかけてもいいから最高のものを」
は、デジタルにおいて、アメリカでおこわなれた。
いわゆるGAFAを見れば大体わかる。
映像分野でも、CG表現を発達させたのはハリウッドで、
日本ではない。
(日本では、CMでは
「いくらかけてもいいから最高のものを」が文化としてあった。
90年代までかな。
その時は、驚くべきCGを使ったCMが連発された。
ペプシマンや、JR SKISKIのダチョウや、実写SMAPガッチャマンなどなど)

残念ながら、
デジタルは「安くても良いものを」
の道具としか、日本では使われていない。

このことにより、
「いくらかけてもいいから最高のものを」
に関わってきたスタッフが軒並みいなくなり、
最高のものの作り方が失伝しつつある。

家電業界などはさらに酷いだろうね。


結局、
デジタルはサービス業しかなくなってしまったかもしれない。
そんなにサービスばっかりしてどうするんだい。

デジタルプラットフォームを作って、
保守して、古くなったら潰して、
が、
デジタルがほんとうにやりたかったことかな。

僕にはわからない。

ただ、
「いくらかけてもいいから最高のものを」
の時代が、
そろそろ懐かしの時代になりつつあり、
それを経験したことのない若者ばかりになりつつある。


それは、成長なき、衰退の時代だと僕は思う。
日本は現状維持から衰退のステージへ入った。
デジタルのせいではないだろう。
デジタルはその道具に使われただけで、
成長する気がなくなってしまっただけだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 21:05| Comment(4) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

こんにちは。九七です。

デジタルが代替に使われている。とても共感しました。

私は小説を書くのですが、電子書籍やWeb小説などに、いつももどかしいものを感じています。

場所を取らないだとか、
手軽に書ける/読めるだとか、
ペーパーレスだとか……。

結局どれも、紙より便利になったというだけで、文学表現には何一つ寄与していない。まさに代替品そのものです。

デジタル媒体は、ただの代替ではなく、もっとデザインや演出などに活かせるはずなんですよ。

シーンに合わせて背景を変えたり、音楽を流したり、
フォントを弄ったり、文字を動かしたり、
媒体の機能を利用した新しいトリックを開発したり。

最初は上手くいかないでしょうが、試行錯誤して、技術を洗練させていけば、小説のガワ部分は今よりももっともっと豊かになると思うんです。

なのに作家も、読者も、出版社も、だれもその可能性に目を向けていない。
利益率、技術的な課題、執筆と図書設計の分業etc.……原因は色々あるのでしょうが、試そうとする気配すらないのは明らかな怠慢です。
溢れ返る娯楽に埋もれないよう、文学業界はもっと先進的になって、話題を作っていかないとならないのに……。

成長なき、衰退の時代。
私も日々、それを感じています。

Posted by 九七 at 2020年07月27日 18:50
九七さんコメントありがとうございます。

フォントを変えたり図を入れたりするのは、
ラノベで実験はされてますね。
将棋盤を入れてきたのは素直に凄いと思ったなあ。

小説に関して言えば、
たとえば筒井康隆あたりが実験はしてそうですね。
映像に関しても、70年代あたりは実験映像が多かった印象があります。
万博映像とか当時呼ばれて、
3Dやら全天候型やらが模索されました。
しかし今はVRAR止まりかなあ。


お芝居の世界でもストレートプレイが一番凄い、
と言われるように、
小説でも素書きで面白いのが一番凄いんでしょうが、
にしてもヘンテコなことをやってもいいのかもですね。

「文字で現される物語」でいうと、
電車男やいくつかの怪談やネットミームは、
プロによる何かだと僕は思っています。
(TikTokの初期の映像はわりとプロが参加してたし)
問題はそれが収益に結びついてないことかもですね。

などのようなことを、
出版社がどのように見ているかは知りたい所ですなあ。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年07月27日 19:51


返信ありがとうございます!
筒井康隆さんや万博映像について知らなかったので、勉強になりました。


ラノベやハーメルンというWeb小説サイト辺りは、ちょこちょこ前衛的な試みがなされているのでよく参考にしています。
小説全般の売り上げ落ちている中でも、ラノベやなろう系が好調なのは、実験的な要素がウケているのもあるのかも……?


ストレートプレイの意味を知らなかったので調べてみたのですが、ミュージカルを除いた会話劇などのことを指すのですね。

そう考えると、小説は現状、ストレートプレイしかないと言えるのかもしれません。
もっと音楽とか、なんなら動画まで使った、ミュージカルみたいなノリの小説があってもいいのかも。
(行き過ぎるとノベルゲームになりそうですが)


収益に結びつかない、というのは確かに問題な気がしますね。
同人作家やインディーミュージシャンのような個人で稼げる仕組みを、小説でも作っていければ、文学業界も色々尖っていくんですかね……?

でも、出版社にはあんまり益がなさそう。
作るとしたらアマチュア主体で動かないとダメかもですね。

Posted by 九七 at 2020年07月27日 21:55
>九七さん

「pixvは宣伝でコミケで収益化」
などのようになれば、
アマチュア字書きにも活路はあるかもですが、
二次創作前提かもなあ。

そもそもオリジナルなストーリーを、
小説形式でみんな読みたいのかというと、
そうでもないのでしょう。
余程新しい事件なりストーリーの形なりがないと、
しんどいかもですね。

映像系では、
「結局実験系よりもストレートプレイで面白いのが勝つ」
はあるので、
その王道に乗るために奇道をどう使うか、
をみんな考えているとは思いますが。

(いずれにせよ出版社は何も考えてないかも)
Posted by おおおかとしひこ at 2020年07月27日 22:18
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