> ordinary man
>やっぱり新下駄は打ってて爽快ではあるなぁ
>軸足をしっかり構えてじゃなくて、脚が常にステップ刻んでる感じの打鍵感だ
うん、すごく分かる。それが新下駄のいいところだということも。
そしてまさにそこが、僕がダメだったということも。
脚のステップにたとえるならば、
僕は「リズムに乗れなかった子」で、
「脚がもつれて転んだ子」の側にいる。
ステップを刻み続けるのが苦手で、
どっしりと構えて最小限の動きを煮詰めていく、
剣の達人みたいなことしか、
多分できない。
薙刀式はそんな感じの居付き感で、
だから僕は武器の名をつけた。
新下駄の名はやはり靴(の一種)の名の通り、
ステップ刻みがデフォルト意識だろう。
世の中には、ダンスが得意な子もいれば、
全く苦手な子もいる。
ダンスが得意だから偉いというわけではないし、
ダンスが苦手だからダメだというわけでもない。
得意な子は苦手な子に合わせてブレーキをかけるのはおかしいから、
どうぞ得意な子たちで楽しめばいいと思うし、
苦手な子に泣きながらやらせるのもおかしいし、
苦手だけどやりたい子には、ちゃんと教えてあげればいい。
問題は画一的な基準を押し付けることで、
それはqwerty強制主義と同じだ。
自由には度量が必要だ。
新下駄のいいところは沢山語って欲しいし、
批判点も沢山語って欲しい。
薙刀式も同じくだし、その他の配列も同様だ。
語れば語るほど、
まだ知らない人が、
「これなら出来るかもしれない」
「こっちは苦手かも知れないけれど、
面白そうだからちょっとやってみよう
(希望だけ与えてダメだったら自分を責めてしまう)」
なんて思ってくれるかも知れないのだ。
僕は配列にはそんな自由と度量があるべきだと、
常々思っている。
ステップが踏める人には、新下駄は爽快だろうなあ。
もっと新下駄の動画を見てみたい。
2020年07月28日
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