2020年07月31日

文化すら流行だったのかも知れない

僕は80年代に10代を過ごした。
戦後復興は終わり、ベビーブーム世代のバブル景気で、
一億総中流で、生活必需品は足りてきたから、
文化を豊かにしようという時代に生きてた。

ゴッホのひまわりを金で買ったり、
とにかくなんでもいいから文化の衣を纏おうとしていた。


世の中で、文化のわかる人は、
たぶん一定数しかいない。

5%か3%か、30%か、50%かは、
「わかる」の度合いをどこにするかで変わるが、
僕は大体1%くらいかなと思っている。
クラスに2人はいない感覚。
(僕は45人学級だったので)

僕の「わかる」は、かなりの数を吸収していて、
嗜み以上に出力している人、くらいの基準。

もう少し基準をゆるくすると、
創作の経験があるが常時ではなく、
文化をたくさん嗜む人。(マニア)

さらに基準をゆるくすると、
文化が好きな人。(ファン)


しかし、文化のわからない人もいる。
僕は半分ととりあえず見積もる。
「センス」という言葉にするならば、
センスのある人半分、ない人半分、という区分だ。


80年代は文化を買ったり纏ったり作ったりして、
とにかく文化的であることがよしとされた。
センスの有り無しが取り沙汰されはじめたのはこの頃からだ。
90年代はその爛熟期で、
センスのない文化は淘汰され、
それ前提のハイコンテクストな文化こそが、
よしとされた。
ハイコンテクストサブカルチャーのメジャー化だ。

しかし文化の分からない人は、
僕の見積もりでは少なくとも半分いる。
それでも80年代、90年代、
文化を知っていることや、文化に明るいことは、
良いことで、
知らないことやセンスのないことは、
悪とされた。

わかる人にとっては最高だけど、
わからない人はわからない。
だから、わからない人は、
「流行に乗っている」ふりをしてればよかった。
みんながいいというものをいいと言い、
わるいというものをダセエと言っとけばよかった。

つまり、
80年代から90年代は、
半分のわかってる人と、
半分の流行に乗ったふりをしている人が、
文化を流行らせていた。

しかし文化の維持には金がいる。

芸術家はスポンサーなしでは生きていけないし、
映画の制作費は高いし、
服を毎週買うには金がいる。

バブルがはじけてその余波が収束し、
氷河期が訪れた2000年代、
文化は消えていったように僕からは見えている。

金がなくなったからだ、というのが僕の見立てだ。

なぜなら、
文化爛熟期を経て、人々は全員文化に通じたわけではなく、
あいかわらず一定数の文化のわかる人と、
半数のわからない人が居続けるからだ。


わからない人はわからないなりに、
わかる方法ではなく、わからないまま別の方法で扱えないかと考える。
統計、経済学、工学理論などである。

「日経エンタテイメント」という雑誌が発刊されたのはこの頃で、
僕はこの雑誌が大嫌いだ。
「ヒット映画の10の法則」とかの派手な見出しで書かれた内容は、
客観的な数字の羅列だった。
マーケティング、経済学、工学的なことで、
文化行為を分析しようという流れである。

これは、わかる人には明らかなものを、
わからない人が把握するための方法論であったと思う。

文化の維持には金がいる。
しかし不景気になり、すべての文化を維持できないとき、
選択と集中で文化を減らさざるを得なくなる。
そこに仕分けがやってくる。

わかる人が仕分ければ、
「ヒットしているがいずれダメになる」ものは捨てるし、
「今は未知数だが、将来化ける」ものは残す。
「売れてないが、文化の多様性の維持には必要なもの」は残すし、
「歴史的価値のあるものは維持するべきだ、
なぜなら私たちはこの上に立脚しているからだ」となる。

しかし、仕分ける人は大抵わからない人だ。
で、客観的数字だけでわけてゆく。
なんなら「文化がわからなくて馬鹿にされた」恨みもあったかもしれない。


で、数字のある文化だけが残り、
土壌が痩せ、育たなくなり、日本の文化は氷河期となった。
(ついでにコロナが何にとどめを刺すかだが、
ここでは深入りしない)


さて。

つまりは、文化は流行に過ぎなかったのだ。

文化のわかる人は、一定数しかいない。
5%か3%か、30%か、50%かは、
「わかる」の度合いをどこにするかで変わるが、
わからない人は、半数はいる。

わからない人が黙っていたのは流行に乗ったからで、
流行が終われば、
わからない人は発言をはじめ、行動するのだ。

かくして、
悪貨が良貨を駆逐した。



京都弁の間接話法を見てもわかるように、
高度に洗練された文化は排他的である。
そうしないと洗練が保たれないからだ。
これは同時に新規参入を促せず、滅びのレールに乗ることも意味する。

80年代から90年代にかけては、
新規参入は大歓迎で、
増えた人がわかりをはじめ、
わかりはじめた人が更なるわかりを求めた。
わかりはじめたマイレボリューションだった時代だ。
明日はいくらでも変えられた。

しかしそれには、何度も言うが、金がいる。

金が尽きれば、
わからない人はわからないなりに仕分けを始めるわけだ。



さて、ようやくほらさんの疑問の答えが出そうだ。

現代は、文化が流行していない。
文化は流行に過ぎなかったのだ。
元禄時代、アールヌーボーのようなものか。

わかる人には、間接話法で通じる。
わからない人は、直接話法しか理解しない。

わかる人とわからない人の集団がいるとき、
わからない人を説得するには、直接話法しか使えない。
文化が流行だった時代は黙らせられたが、
いまは文化が流行していない。


会社が集団で運営され、責任が分散し、
わかる人とわからない人がいる限り、
直接話法が合意の結論である。

誰かワンマンがいて、わかる人がいれば、
間接話法が世に出る。
そしてそれは中小企業で、会社がメガ化している現在、
滅多に出会うことはない。


僕が憧れた80年代や90年代の広告が廃れ、
映画のポスターや予告編が糞化している理由は、
わかる人が減ったからではなく、
わからない人が発言するようになったからだと考えている。
発言権が均等になり、
「センスのない奴は黙っとれ」が通じなくなった。
ただそれだけのことだと考える。

つまり文化が流行だったからだ、
というのが結論だ。


だから直接話法に近い、客観的な根拠のある、
Aストーリーしかわからない。
それを中心に持ってきて、
モロはあれだからボカすか、程度の判断がなされるのだと考える。


○○案件がなぜ嫌われるのか?
わからない人が理論だけでパワープレイするからだ。
わかる人が認めたものをパワープレイするべきなのに、
わかる人が見たらうんこをパワープレイするからだ。
そして、いったん動き出した列車は、
「今更止められないという結論になった」からだ。




さて、次に、我々はどうすればいいか?
間接話法のいいストーリーを書き、
間接話法のいい文化的コピーを書くしかない。
間接は直接ではないのだから、
いろんな方面からの間接を考えればいいのだ。

わかる人は採用するし、わからない人は却下するだろう。

わかる人は何%いるのかわからない。
しかしその人に出会うまで、私たちは孤独である。
出会えたら仲間になれるだろう。


絶望の中で希望を見続けるしか、
文化をつくることはできない。

詩人は、戦場で詩を書く。
posted by おおおかとしひこ at 04:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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