2020年08月04日

不謹慎じゃないと面白くない

根本的な考え方だと思う。


まじめで、親に紹介できる、子供にも見せられるものは、
面白いものだろうか?
悪役がなぜ魅力的なのだろうか?
正義はそんなに魅力的じゃないのが多いのはなぜか?
「NHKしか見ない家」というのは、
堅物の代名詞だよね。
(いまや民放がつまらなくなって、NHKこそ面白いという説はあるけどね)

面白いものは、
堕落して、低俗で、危険で、マネするのはだめで、
公序良俗ぎりぎりのものである。

そしてさらにいうと、面白さには知性がある。
ただのバカは面白くない。
面白さとは、
現状を、知性と低俗の力で、越えようとするものである。

はっきりいうと、
面白さとは火遊びだ。


面白さという果実は、
危険と表裏一体であるのだ。

もちろん、危険なだけだと面白くない。
果実だけでも面白くない。

危険の結果、成功して果実を得ることが面白いのだ。


不謹慎狩りが最近激しい。
それだけみんなストレスを抱えている。
「見なきゃいいじゃん」という選択肢が生まれて、
ずいぶん楽になったとは思うが、
逆に見るべきものが発見されにくくなっている。

少なくとも、
面白いものは、不謹慎狩りの結果のものたちの中にはいない。

親が決めた許嫁と、不良少年だったら、
いつも女子は後者をとる。

面白さとは可能性である。

読めて、範囲に収まるものなど面白くない。

その範囲から逸脱して、
別の世界へ連れていってくれそうなものを、
人は面白いという。


出落ちだったとしても、
いっときは「面白い」といわれるのは、
出落ちには許嫁にはない、
世界を変える可能性を感じるからだ。




それは、危険に満ちて、PTAがしかめっ面をして、
親にも親戚にも見せることはできない、
俺たちだけの世界に通じる何かだ。

その名は、可能性という。

人は、つねに「ここじゃないどこか」へ行きたい。

可能性がない、おとなしいものは、
死んだも同然だ。
posted by おおおかとしひこ at 10:53| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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