根本的な考え方だと思う。
まじめで、親に紹介できる、子供にも見せられるものは、
面白いものだろうか?
悪役がなぜ魅力的なのだろうか?
正義はそんなに魅力的じゃないのが多いのはなぜか?
「NHKしか見ない家」というのは、
堅物の代名詞だよね。
(いまや民放がつまらなくなって、NHKこそ面白いという説はあるけどね)
面白いものは、
堕落して、低俗で、危険で、マネするのはだめで、
公序良俗ぎりぎりのものである。
そしてさらにいうと、面白さには知性がある。
ただのバカは面白くない。
面白さとは、
現状を、知性と低俗の力で、越えようとするものである。
はっきりいうと、
面白さとは火遊びだ。
面白さという果実は、
危険と表裏一体であるのだ。
もちろん、危険なだけだと面白くない。
果実だけでも面白くない。
危険の結果、成功して果実を得ることが面白いのだ。
不謹慎狩りが最近激しい。
それだけみんなストレスを抱えている。
「見なきゃいいじゃん」という選択肢が生まれて、
ずいぶん楽になったとは思うが、
逆に見るべきものが発見されにくくなっている。
少なくとも、
面白いものは、不謹慎狩りの結果のものたちの中にはいない。
親が決めた許嫁と、不良少年だったら、
いつも女子は後者をとる。
面白さとは可能性である。
読めて、範囲に収まるものなど面白くない。
その範囲から逸脱して、
別の世界へ連れていってくれそうなものを、
人は面白いという。
出落ちだったとしても、
いっときは「面白い」といわれるのは、
出落ちには許嫁にはない、
世界を変える可能性を感じるからだ。
それは、危険に満ちて、PTAがしかめっ面をして、
親にも親戚にも見せることはできない、
俺たちだけの世界に通じる何かだ。
その名は、可能性という。
人は、つねに「ここじゃないどこか」へ行きたい。
可能性がない、おとなしいものは、
死んだも同然だ。
2020年08月04日
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