世界を周遊することは大変たのしい。
しかしそれだけでは映画にならない。
観光旅行はストーリーか、ということだ。
ストーリーとは、日常を離れて、
非日常で行う冒険である。
それはつまり、観光旅行と同じ形式をしている。
別に、外国に旅行しなくても、
いつも住む安全で安心できる世界から、
別の、危険で不安な世界へいけば、
それは一種の旅である。
安心安全なものは旅ではない。ただの出張だ。
ドキドキしないと旅ではない。
成長する旅というのはそうしたものだ。
安全柵の後ろから見るだけの旅は、
なんら成長をもたらさない。
一人旅はそうした要素が強いが、
二人以上の旅はどうだろう。
ただ話をして、帰ってくるだけで、
それはストーリーにはならない。
旅自体は面白いが、それはストーリーではない、
ただの観光旅行である。
では、観光旅行とストーリーは何が違うのか。
僕は、世界に働きかけて、
その世界を変えることがストーリーで、
変えないことが旅行だと思う。
観光客は観光先を変化させない。
ただの通りすがりだ。
そうではなく、ストーリーの当事者とは、
世界を変える者(結果的にせよ、目的があってそうするにせよ)
のことをいう。
特殊な世界、特別な世界を設定したときに、
ついやりがちなことは、
「ただ珍しい世界を巡って、色々話をして、
おしまい」になることだ。
つまり、そういう世界への観光旅行で終わってしまうことである。
それはストーリーではない。
あることが起こり、
そのことで世界が変化し、
登場人物も変化し、
相互に影響しあい、
結果的によくなる(ハッピーエンド)か、
悪くなる(バッドエンド)ことが、ストーリーだ。
世界と人間が「永遠に元に戻らない変化」をしないものが、
観光旅行だということだ。
つまり、良かれあしかれ、
世界は変わってしまう。
「ビフォーサンライズ」という、
観光旅行に見せかけたラブストーリーがある。
旅行先で出会った男女が、
ただ色々巡って話をするだけの形式だ。
これが観光旅行ではなく、
ストーリーであるゆえんについて考えよう。
男女の話が、
実は恋愛関係の進展になっているから、
これはストーリーなのだ。
恋愛関係というよりは、
信頼関係というか、人生の哲学を交換するというか。
これは話をただしているだけではない。
男女が互いを信頼できるか、
距離感を測っているのだ。
だから、落ちとして、
手を出すかどうかに悩むことになるわけだ。
アメリカっぽい結論にするならば、
セックスで終わってしまうだろう。
そんな軽薄でよいのか、後半はそういうことを中心にすすむ。
話をするふりをしながらね。
だからラストはとても興味深く、
一生こころに残る車窓風景となるわけだ。
僕が好きなのは、夜明けの一瞬前に、
これまで話してきたところが誰もいない状態で、
次々と出てくる空舞台の絵だ。
それは冒険の舞台の回想なのだ。
(ドラクエのエンディングと同じ。
そうそう、「リンダリンダリンダ」でも、
雨の降る校内の空舞台があって、
それが同じ意味のショットになっている)
あなたのストーリーは、
ただ観光旅行しているだけだろうか?
それともストーリーを描いているだけだろうか?
「ビフォーサンライズ」を見たあとでは、
ただのベンチやただの街が、
特別な景色に生まれ変わる。
世界が変わった証拠である。
それを恋と言わずして、何を恋というのだろう。
だから「ビフォーサンライズ」は、
観光旅行の形式をとった、
優れたストーリーなのだ。
非日常で、主人公は何をするのか。
ただ話だけしていないか。
ただ感想や哲学を述べたり、おしゃべりしてるだけになっていないか。
行動せよ。
目的は何か。
もし観光旅行しかしていないな、
と感じたら、
「ビフォーサンライズ」のお喋りが、
実は行動になっている(恋人になろうとしている)
ということをチェックするといいかもしれない。
ストーリーとは、
誰かを殴ったり、倒したりすることだけではない。
何かを手に入れたり、失うことも含む。
2020年08月06日
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