2020年08月01日

【薙刀式】僕は音声入力に否定的だ

お喋りって内容がないじゃない?
書き物ってある程度の知性で、情報がまとまるべきだと思うんだ。


その為に人は書くんだと思う。
まあお喋りしたい人もいるのかもだけど。

親指シフトから音声入力に移行した人の書き物を見つけたので。
これを、
「書いた物」だと考えるべきか、
ただのお喋りと考えるべきか。

親指シフトやめた。デメリットは?おすすめしない理由は音声入力の登場
https://yutakanahibi.com/pc/4650-oyayubi-shift-yameta-demerit-osusume-sinai/


この人と喋れば面白いのかもしれないが、
書き物としては最低のレベル。

音声入力のレベルがここまでしか出来ないんだったら、
キーボードの意味はまだ全然ある。


勿論、使い手の問題もあるだろう。
しかし音声入力が、
書き物を忘れさせてお喋り側へ誘惑しそうな装置であることは、
予想に難くない。


こうなると、何のために書くのか?
ということのほうが重要になってくる。

僕は取り止めもないことのために書くのではなく、
何か意味のあることを時々でまとめるために書いている。
その意味の濾し方が、文章だと。

手で書くときの反力が書き物には必要で、
その抵抗に逆らって書くから、
まとまった物が出来上がると僕は考えている。
抵抗なくスルリと書くと、
思考そのものが纏まってないことが暴露されてしまうのでは。


親指シフトはキーボード入力を喋る方向に楽にしたが、
書くことより遠ざけたかもしれない。
まあqwertyよりはましだろうが。
posted by おおおかとしひこ at 21:50| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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