2020年08月08日

スプレッドをカードで考える

ストーリーとは一次元に繋がった何かである。

ただ、スプレッドをしなければならない場面もある。


スプレッドとは、
似たような同じ要素を、
A、B、C…と並べる場面である。

分かりやすいのは、
赤レンジャー、青レンジャー、黄レンジャー、桃レンジャー、ミドレンジャー、
と名乗りを上げる場面だろうか。
(これは歌舞伎→時代劇とつづく、日本の伝統的な見得切りである)

人間に順番はないのだが、
時間が一次元で進むため、
順番をつけて同等のものを並べなければならない。
だが並べたことで、
その並びに意味が出てしまう。

ゴレンジャーの場合では、
リーダー、ナンバー2、その他、
のような「重要な順」
という色がついてしまうわけだ。

ポスターならば話は別だ。
同じ大きさに並べれば、順を作らなくて良くなる。
(それでも上座下座が生まれる。
円形の机は、順を作らないための方法論だよね)

ところがストーリーではこれが出来ない。
どうしても順が出来てしまう。

逆に、ストーリーとは、
順を使いこなす芸術だ、と言っても良い。

殴ってから仲良くしようぜと言うのと、
仲良くしようぜと言ってから殴るのは、
意味が全く違うのだ。


(余談だが、このことを分かっていないデザイナーは、
映画のポスターをつくる資格がない。
順を使いこなす芸術を、
順のないレイアウトのポスターで示すのは、
ポスターの限界を示す意味でポスターに失礼だし、
勿論映画にも失礼である。
出演者が並んでただこっちを見ていたり、
ブロッコリーみたいにレイアウトされているものの、
何が順を示しているのだ?
何が面白いと言うのだ?
映画ポスターとは順をイコンに昇華させたものであり、
このことについて小一時間以下略)


ちなみに、
取り返しのつかないことの順番を変えると、意味が大きく変わる。
人を殴ったら死ぬのと、
死んだ人を殴るのは、
全く意味が違う。


さて、本来はこのような、
順で物事を語る芸術に、
スプレッド要素が入るから面倒なのだ。

「ウィーアーリトルゾンビーズ」の序盤のスプレッド、
4人の過去話の退屈を思い出そう。

スプレッドで時間が進まないのはひどく退屈だ。
だからゴレンジャーの名乗りは一瞬で終わる。
スプレッドが楽しいのは、この時間帯である。
(たとえばドラマ風魔OPで人気が高いのは、
八将軍が八分割されるスプレッドだ。
そしてそれは数秒ほどの出来事である)


分かっておくべきことは、
「どのような順に並べても、意味が発生する」
ということだ。

だとしたら、
あなたは、
「その順にすることで、どういう意味が発生するか」
をコントロールしなければならない。

ノイズが発生していれば除去すべきだし、
意図以上の意味が発生しているならばそれに勘付くべきだ。


もしゴレンジャーが、
桃レンジャー、ミドレンジャー、黄レンジャー、青レンジャー、赤レンジャー、
だったら「弱い順かな」と思われるだろうし、
赤レンジャー、桃レンジャー、青レンジャー、ミドレンジャー、黄レンジャー、
だったら最後あたりの記憶はないだろう。

つまりあなたは、
スプレッドを並べることで、
明確な意思を提示しなければならない。
「ゴレンジャーは、リーダーから重要な順」というように。



さて、ようやく本題だ。

スプレッドの順番を考えるのは、カード法が使える。
カード一枚にそれぞれを書き、
並べ替えを試せばよいのだ。

付箋でやるときもあれば、
紙を小さく切ってやってもよい。

デジタルよりアナログのほうが手軽で速い。
デジタルはアンドゥは便利だが、
並べ替える要素を作るのに時間がかかり、
並べ替えたり要素抽出にかける時間が減る。
カードを作ることに時間をかけるべきではなく、
順を作ることに時間をかけるべきである。

(デジカメで並び替えを撮影して、
いくつかの解を見比べてもよい。
デジタルはこういう、捨ててもよいものの保存に役に立つ)


カードの要素はなんだろう。

名乗りの順かも知れないし、
場面の順かも知れないし、
展開の順かも知れない。
伏線やその解消という、もっと複雑な順かも知れない。

順だけでなく、
カードの要素数を増やしたり減らしたりも可能であることに気づこう。

あるものを減らすと出来る秩序があったり、
その逆もあるかも知れない。


とにかく並べ替えよう。
そうしているうちに、
あなたの中に「順の感覚」が出来上がる。

このときのコツは、なるべく俯瞰したり砂被りに行ったりして、
沢山フォーカスレベルを変えることだ。
この順全体がどういう文脈なのか、
言葉に出してみることだ。
その言葉が、また別の秩序を連れてくることもある。

重要順で並べていたが、
重要な順とは役職の順ではなく、
キャラの濃い順なのでは?
と気付いたり、ということだ。


原則は大から小、小から大、あるいは対句だけど、
それにとらわれる必要はない。
困ったらそんな古典的秩序の力を借りてもよい。


大体できたら、
その順のところで、なんらかの展開をしているか?
をチェックしよう。

ただの順しかなかったら、
それはもっと圧縮しよう。
ウィーアーリトルゾンビーズのようにではなく、
赤レンジャー、青レンジャー、のような、
キレのある名乗りにしよう。

もし展開があるのならば、
それは展開として全体のストーリーの、
どのパートなのか、どのように組み込まれるのか、
もっと俯瞰してみよう。

もしそれが全体の順、因果関係、ストーリーそのものに、
噛み合うならば、
そのスプレッドには意味がある。

噛み合わないならば、
そのスプレッド場面は、
ただのパノラマ紹介場面になり、
退屈と引き換えになる可能性が高い。

ポスターにおいてはパノラマは善だが、
ストーリーにおけるパノラマは悪だ。

そこで全体のストーリーが停止するからだ。
順で捌くものが順を失えば、
喪失タイムがしばらくあるということだ。


スプレッドが流れるように出来たとしても、
そこが「ただ流れを見て楽しむ」ガワの場面なのか、
「ストーリーラインの○○の要素に関係する」中身の場面なのかで、
それは大きく意味が違うだろう。

そこまで判断できるように、
カードを何回でも並び替え、
カードの内容すら書き換え、
増やしたり減らしたりもしながら、
最終形へ近づくのだ。


そして考えるのにカードが必要なくなったとき、
それは全てストーリーになっていて、
もはやスプレッドではなくなっている、
という証拠である。

ここからスプレッド始まるよー、
となっていてはいけない。
すべてはストーリーの一部であり、
前後関係になっているべきだ。


(この全て逆をやっているのが、
キングオブクソ映画ナンバーワン「ウィーアーリトルゾンビーズ」
のスプレッド、4人乗り過去のパートである。
失敗例の勉強のために、絶対に見るべきだ。
あなたのスプレッドは、これと同じ退屈を観客に与える)
posted by おおおかとしひこ at 00:33| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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