なぜ寝かせるのか。忘れるためである。
逆にいうと、細かいことを生々しく覚えているならば、
まだ寝かせ切れていない。
分れた直後の女のことを考えよう。
色んなディテールを思い出せるならば、
まだ忘れていない証拠だ。
話したこと、好みのこと、隣にいる感じ。声の癖。
そういうことがシナリオに残っているのならば、
まだそれは寝かせ切れていない。
伏線と解消の関係とか、
モチーフはこれを象徴しているとか、
このときこいつは実はこのようなことを考えていたのだとか、
このシーンは前はこうだったが、
リライトしたことによってここになり、
とてもよくなったのだ、とか、
前こういう設定で、それは面白かったけど、切ったんだよねとか。
そういうことを細かく思い出せるのならば、
まだ寝かせが足りない。
そういうときはリライトするべきではない。
むしろ、
初めて会う女のような印象になるまで、
それを忘れなくてはならない。
輪廻転生のようだ。
私たちは何度もその作品に初めて出会うのである。
「何度も見ている映画のはずなのに、
何回も同じところで驚く」
現象がある。
「犯人はあいつだったのか!」とか、
「そういうことだったのか!」とか。
それはたぶん、ちゃんと練られている。
何回も初見のつもりでよく練られていないと、
そういう風にはできないからだ。
あなたはつねに初見の人にならなければならない。
初見の人がどう思うか想像するには、
あなたが初見の人になるのがもっとも早道である。
だから、まるで忘れたときが、
その作品をリライトするときの最適なタイミングだ。
ああ、こういう細かい欠点が気にくわなかったな、とか、
こういういいところはいいんだよな、
なんて、昔の女に再会したとき思うようなことは、
メモしておくとよい。
それを、
もっと完璧な女と初めて会うように作り替えるのが、
リライトという作業だ。
そのためには、よく寝かせておかないといけないよね。
ちなみに、
何度も寝かせておくと、
起こしてきたたびに世間の情勢がかわり、
どの情勢に合わせて書き直すべきか、悩むことになるかもしれない。
でも、書き直しているのは今なのだから、
今もしくは半歩先の未来で、ベストになるように書き直すしかないと思うよ。
80年代にはベストだった作品は、
今ベストになるとは限らないしね。
ツッコミどころがあったり、警官があまりにも無能すぎたり、低予算だったり。
そのコストの低さで当時バカウケしたのが凄い。
今見ても勢いがあってなかなか楽しめます。
ヒットというのは水物なので、
同じものを違う時代に出してもだめだし、
違うものを同じ時代に出してもだめだし、
また、
意外とだめじゃなくて、いいかも知れないのです。
「わからない」というのが答えなので、
だとすると感覚を磨くべきだ、というのが結論ですかね。
その為には主観的にならないことが重要ですが、
客観的になりすぎないことも重要で(ある種の思い込みは人を巻き込む力がある)、
やっぱりほんとのところはわからないんですが。