2020年08月09日

寝かせることの大切さ

なぜ寝かせるのか。忘れるためである。
逆にいうと、細かいことを生々しく覚えているならば、
まだ寝かせ切れていない。


分れた直後の女のことを考えよう。
色んなディテールを思い出せるならば、
まだ忘れていない証拠だ。
話したこと、好みのこと、隣にいる感じ。声の癖。
そういうことがシナリオに残っているのならば、
まだそれは寝かせ切れていない。

伏線と解消の関係とか、
モチーフはこれを象徴しているとか、
このときこいつは実はこのようなことを考えていたのだとか、
このシーンは前はこうだったが、
リライトしたことによってここになり、
とてもよくなったのだ、とか、
前こういう設定で、それは面白かったけど、切ったんだよねとか。

そういうことを細かく思い出せるのならば、
まだ寝かせが足りない。
そういうときはリライトするべきではない。

むしろ、
初めて会う女のような印象になるまで、
それを忘れなくてはならない。
輪廻転生のようだ。
私たちは何度もその作品に初めて出会うのである。

「何度も見ている映画のはずなのに、
何回も同じところで驚く」
現象がある。
「犯人はあいつだったのか!」とか、
「そういうことだったのか!」とか。
それはたぶん、ちゃんと練られている。
何回も初見のつもりでよく練られていないと、
そういう風にはできないからだ。

あなたはつねに初見の人にならなければならない。
初見の人がどう思うか想像するには、
あなたが初見の人になるのがもっとも早道である。

だから、まるで忘れたときが、
その作品をリライトするときの最適なタイミングだ。


ああ、こういう細かい欠点が気にくわなかったな、とか、
こういういいところはいいんだよな、
なんて、昔の女に再会したとき思うようなことは、
メモしておくとよい。
それを、
もっと完璧な女と初めて会うように作り替えるのが、
リライトという作業だ。

そのためには、よく寝かせておかないといけないよね。


ちなみに、
何度も寝かせておくと、
起こしてきたたびに世間の情勢がかわり、
どの情勢に合わせて書き直すべきか、悩むことになるかもしれない。
でも、書き直しているのは今なのだから、
今もしくは半歩先の未来で、ベストになるように書き直すしかないと思うよ。
80年代にはベストだった作品は、
今ベストになるとは限らないしね。
posted by おおおかとしひこ at 09:09| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ここで紹介されてた映画ソウなんかは今やってもウケなさそうだなあとは思います。
ツッコミどころがあったり、警官があまりにも無能すぎたり、低予算だったり。
そのコストの低さで当時バカウケしたのが凄い。

今見ても勢いがあってなかなか楽しめます。
Posted by あ at 2020年08月09日 10:09
あさんコメントありがとうございます。

ヒットというのは水物なので、
同じものを違う時代に出してもだめだし、
違うものを同じ時代に出してもだめだし、
また、
意外とだめじゃなくて、いいかも知れないのです。

「わからない」というのが答えなので、
だとすると感覚を磨くべきだ、というのが結論ですかね。
その為には主観的にならないことが重要ですが、
客観的になりすぎないことも重要で(ある種の思い込みは人を巻き込む力がある)、
やっぱりほんとのところはわからないんですが。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年08月09日 10:51
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